アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 28

明、清時代の歴代皇帝が、天帝に五穀豊穣を祈願した象徴的空間

~ 中国 北京 天壇 ~

農耕民族にとって天候は、人々の生活を左右するとても大きな要素だ。太陽の光や雨による水の潤いが、農作物の収穫に大きな影響を与える。光も水も農民の希望通りに地上に降り注げば、豊作となり人々の生活は豊かになる。誰しも天候をコントロールできればと思うものだが、人間の力でどうすることもできない。時には旱魃や大雨によって、農作物の収穫量が大打撃を受けることがある。農作物の不作による飢饉は、日本の歴史の中に数多くの一揆を記録した。

日本では毎年、収穫の秋に全国各地で祭りが開催される。豊作を神に感謝し、五穀豊穣を祈る。農作物の収穫量を決める天候は、神が支配する世界だと考えられるからだ。日本に限らず農耕民族が住む地域では、様々な形で五穀豊穣を祈る祭礼がある。農民自らが祈りを捧げる場合もあれば、国を統治する者が豊かな国土を祈る場合もある。

1420年、中国に巨大な祈祷のための施設が建造された。明の第3代皇帝の永楽帝は、現在の北京市の南東部に、祭祀用の壇廟建築の天壇を建築した。総面積は270万平方メートルに及び、鳥瞰すると建物は「回」の字型に構成されている。外壁の長さは6416メートル、内壁の長さは3292メートルに及び、故宮の4倍もの規模を誇る。外壁の北側を半円形、南側を方形として、中国で古代から伝わる「天圓地方」の宇宙観を表す。北を天、南を地とする天地の世界を象徴しているのだ。

内壁で囲まれた中心部には、南から北に向かって、園丘壇、皇穹宇、祈年殿、皇乾殿などが並ぶ。園丘壇では皇帝が天帝に一年のできごとを報告し、皇穹宇は祭祀のときに皇帝の位牌が置かれた。皇乾殿には祭祀に用いる道具や楽器を収蔵する。そして、天壇のランドマークタワーとなっている祈年殿では、皇帝が毎年正月に五穀豊穣を祈願したのだ。明から清の時代にいたるまで歴代の皇帝が、数百年の間に二十数人の皇帝が盛大な祭典儀式を行ったという。

祈年殿は、真白な漢白石が3段に組み上げられた基壇の上に建つ。直径32メートル、高さ38メートルの円形の祭壇は、現存する祭壇の中で中国最大のものだ。釘を1本も使うことなく、青空に垂直に建つ建物には当時の建築技術の高さが感じられる。

傘を広げたような紺色の瑠璃瓦による三重の屋根が極めて特徴的だ。建物の宝頂に据付けられた金色の玉を中心として同心円を描き、バランス感と安定感を漲らせている。壁には、赤色、青色、黄色の鮮やかな色彩を使った装飾が施され、色のコントラストが中国的だ。祭壇は静かに立っているのだが、周囲を歩くと建築物に動的な要素が加わる。まるで天女が天空で、優美に舞っているかのように見える。

祈年殿の内部に入ると、中央には玉座が設置されている。頭上を覆う天井は天球を連想させる。天子たる皇帝は、ここで天帝と交信したのだ。内壁には極彩色で幾何学的な模様が描かれる。祭壇を絢爛豪華な色彩で包むことによって、農作物の豊作、豊かな生活を希求しているかのようだ。玉座は、赤地に金色の装飾が施された4本の柱「龍井柱」で囲まれる。農作業の時期を決める四季が表現されているのだ。その外に月や時刻を象徴する24本の柱が立つ。空間を構成する全てのものが象徴的な意味をもつ中心で、皇帝は祈りを捧げたのだ。

中国では古代から「天」は至上のものであり、万物を支配する最高権威と考えてきた。皇帝は天命を受けた「天子」だ。「君たる者は、天を父とし、地を母とし、民を子とする。」皇帝はこの職分を果たしながら、国の統治を行ったのだ。

 

 

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