アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 29

厳粛な仏の世界に誘う2つの門と四天王

~ 韓国 慶州 仏国寺 1~

日本では794年の桓武天皇による平安京遷都から、明治維新にいたるまでの10世紀を超える期間にわたって、京都から政治や文化が全国に発信された。京都御所を中心に碁盤の目の街が整備され、市内に残る夥しい数の寺院が、現在でも古都の雰囲気を漂わせている。仏教界の様々な宗派の総本山も京都に集中し、政治的な首都機能を東京に移した今でも、日本の仏教世界をリードし続けている。

日本海を隔てて接する韓国は、李氏朝鮮による朝鮮半島統一以来、ソウルに都を置いてきた。それを遡る三国時代には、高句麗、百済、新羅の3つの国が朝鮮半島を分割して統治した。高句麗、百済の両国は何度か都を移したが、新羅は現在の慶州を金城、クムソンと呼び都とした。紀元356年から935年にわたって、日本海に面する朝鮮半島の南東部で栄えた。7世紀中頃には朝鮮半島をほぼ統一したこともある。日本とも深い関係をもち、天武天皇や持統天皇の時代には盛んに交易を行った。

韓国では慶州が、京都に匹敵する古都だ。慶州歴史地域には、仏国寺、石窟庵、皇芬寺をはじめ、古墳公園の大陵園に点在する膨大な数の遺跡が、古代の新羅の様子を今に伝えている。

慶州の市街地から南東に約15キロ離れた、標高745メートルの吐含山のなだらかな斜面には、仏国寺が仏閣を並べている。仏国寺は528年に法興王の母、迎帝夫人の発願によって建造が始まったと伝えられている。残念ながら1952年から1598年にかけての豊臣秀吉による文禄・慶長の役で、ほとんどの伽藍が焼失し、現在の姿は1973年に復元されたものだ。緻密な発掘調査によって元々あった場所に復元された刹那は、人里離れた山間に広がるため、俗世を離れた清浄な仏の世界を築き上げているかのようだ。

仏の世界への最初の入口が一柱門だ。寺院の敷地内に入る前に、この門を潜り世俗の煩悩を奇麗に洗い流すという意味が込められている。門の中央には仏国寺の看板が掲げられ、門柱にハングルが並んでいる。私が訪れた2001年5月1日は、仏陀の2545回目の誕生日だったのだろうか。仏国寺に訪れた人に語りかける文字の意味が理解できないのは残念だ。旧暦の4月8日を釈迦誕生日とする日本の暦と合っているのだろうか。この日の前後にソウルでも慶州でも、5月1日が仏陀の誕生日だと聞かされた記憶が確かに残っている。

一柱門を潜ることによって心が洗われた気分になって、歩を進めると次の門、天王門に出会う。門の中からは仏を守護する天部の仏神の四天王が睨みをきかせている。邪悪な者が仏の世界に入ることがないように見張っているのだ。右手前に増長天、奥に持国天、左手前に広目天、奥に多門天が勢揃いし、東西南北の四方位を守護している。

その出で立ちは、中国の唐の時代の武将のような姿をしている。日本の寺院の山門には、殺気立った視線を下に向ける像がよく置かれている。色彩的にも単色が多く素朴でありながらも闘争的で、近寄りがたさを感じる。ところが仏国寺の天王門の四天王には、愛嬌を感じさせるものがある。穏やかな表情で、柔らかな曲線を描き帯のようなものを身に纏い、全体的に鮮やかな色彩をもっている。邪悪な者を追い払うというより、門を潜る人々を仏の世界に誘っているかのように見える。一柱門を潜ることによって清められた精神は、天王門を通り抜けることによって、さらに厳粛な領域に近づいていくのだ。

2つの門を潜ることによって入る境内は仏の世界だ。神聖な気持ちになって極楽浄土に導かれるところ、それが仏国寺だ。

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