食のグローバリゼーション 5

法廷で裁きにかけられたスイーツ・レシピ

~ オーストリア ウィーン ザッハー・トルテ ~

街中にある飲食店の店頭や店内には、「秘伝」の文字が溢れる。秘伝のタレ、秘伝の出汁、などの文字を見ると、味わってみたくなるのが客の心理だ。それをくすぐるのが店の狙いだろうが、どうしても店の策略にはまってしまう。

秘伝のレシピは、文字通り秘伝であるがゆえに、実際の料理人以外、誰にもわからない。ところが、レシピが流出し、裁判沙汰になったものがある。

オーストリアを代表するスイーツ、チョコレートケーキの王様とも賞される「ザッハー・トルテ」が訴訟問題を引き起こした。裁判という言葉を耳にすると、殺人、放火などの凶悪犯罪を連想しがちだが、甘美な香りが漂う裁判が約10年もの長い間、ウィーンで続けられた。

「ザッハー・トルテ」の元祖のレシピは、フランツ・ザッハーによって考案された。当時のフランツ・ザッハーは、ハプスブルク家の政権下で宰相を務めていたメッテルニヒの屋敷で、コックの見習い人に過ぎなかった。ところが1832年のある日、メッテルニヒが主催するパーティーの日に料理長が病欠してしまった。その代役を務めたのがフランツ・ザッハーだ。デザートとして食卓に出したチョコレートケーキが大評判となった。翌日にはウィーン中の噂となり、ザッハー・トルテが誕生した。

フランツ・ザッハーのみが知るレシピは、息子のエドワードに引き継がれ、ウィーン国立歌劇場の裏にホテルを開業した際には、レストラン、カフェの看板メニューとなった。オリジナル・レシピは、ザッハー家の金庫に保管されている。

ところが、第二次世界大戦の最中に、門外不出のレシピが流出し、ザッハー・トルテを製造販売する菓子店が出現した。200年以上の歴史をもち、ハプスブルク家ご用達の店となっていた、デーメルのメニューにザッハー・トルテが登場した。ザッハーはデーメルに抗議したが、デーメルは製造販売をやめることはなかった。ついに1952年に、ザッハーが提訴に踏み切り法廷での闘争が始まった。10年を経過しても裁判が決着することはなく、ウィーン会議の伝統がお菓子の裁判にまで継承される形となった。結局1962年に、お菓子ファンの嘆願書によって終結した。

その判決は、「両店ともザッハー・トルテを作ってよろしい。ただし、オリジナルを名乗れるのは、ザッハー本家のみとする」という玉虫色の結論だ。この判決にザッハーは納得したかどうかは定かではないが、これによってウィーンの人々は、2種類のザッハー・トルテを楽しむことができるようになった。2つのトルテを並べて見ても違いはよくわからないが、ケーキの上に乗ったプレートに特徴がある。ザッハーはチョコレート製の丸いプレートを乗せているのに対して、デーメル製のものは三角形のプレートだ。

秘伝のザッハー・トルテのレシピは、概ね次のようになる。小麦粉、バター、砂糖、卵、チョコレートなどを素材とする生地を焼き、チョコレート味のバターケーキを作る。これにアンズのジャムを塗り、全体をチョコレート入りのフォンダンでコーティングする。

ザッハーのオープン・カフェで、ザッハー・トルテを注文すると、砂糖を入れずに泡立てた生クリームがセットになって出てくる。ドリンクには、モカに生クリームが浮かぶアインシュペナーが最適だろう。

1876年以来ホテル・ザッハーはウィーンを代表する5つ星ホテルとして営業を続けている。歌劇場の裏という好立地でもあり、モーツァルトのオペラを鑑賞した後に、ザッハー・トルテを味わうと、ウィーン情緒にどっぷりと浸ることができる。

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