隠されたダンディズム

今や死語に近い「ダンディズム」、40代以上であれば一家言もあるところだが、若者にとっては何の意味も持たない言葉となってしまった感がある。
なんとかミクスと世間では大騒ぎをしているが、未だ景気は回復の兆しを見ない中「何がダンディズムだ」と口角泡を飛ばす御仁もいることだろう。
かのVAN JAKET創設者、故石津謙介氏は「ダンディズムとは、独りよがりとやせ我慢のことである」と、力説した。他人がどう思うと己の道をまっしぐらということだろうか。とりわけダンディズムと謳うからには先ず浮かぶのが衣裳だ、しかしブランドものを纏うことが即ちダンディズムとは呼べないだろう。
石津氏の言葉から類推するに、モノとしての存在よりも、その人自身の泰然自若とした生き方がこの言葉裏に隠されているのではないだろうか、つまり生きる哲学である。
では、それを纏う肉体はどうだろう、フォルムで男女問わず際だつのが脚線美だ。脚線美と来れば女性をイメージするが、シューベルトの時代まで脚のエロティシズム、実は男のものだった。
それは、脚やお尻のフォルムがくっきりと浮かぶタイトな膝丈のキュロットとストッキングというスタイル。かの有名な「ロミオとジュリエット」、そのロミオの衣裳を思い浮かべて頂くとイメージがはっきりするのでは。
他方、女性はパンエ(腹部をふくらませたスカート)でふくらんだ腰、デコルテ(襟ぐりの大きなもの)にエロティシズムの特徴はあるが、脚に対する美意識は男性のものほどには表現されていなかった。
やがて勃発した市民革命によって、それまで保ち続けてきた男女の衣裳体系は終焉を迎え、プロテスタントなる倫理が幅を利かす市民社会では、過度の露出が厳しく監視されたにしても、脚線美はいつしか女性の独壇場となる。
そして、こだわり続けた”伊達男たち”の脚線美は、いつのまにか労働者の仕事着だった筒型のパンツに席巻され、消えゆくものとなった。
時代は移り1920年代、宗教による倫理社会から女性が解放されようとしていたとき、「スカート丈は膝下がエレガントよ」とパリ市民を驚かせたのがガブリエル。シャネル。ファッション世界のヌーヴェルバーグの旗手として登場した彼女の眼は、ヨーロッパ全土に鳴り響いた。
一方、当時の男どもはと言えば、ダボダボのオックスフォードバギー(男子半ズボン)に身をやつし、相変わらず下半身を覆うその姿に色香はなく、以来、男の下半身は機能性のみに包まれて久しい。
だが、そろそろ男も自らの脚の隠されたダンディズムを意識して良いのではないだろうか。そして、均整のとれた美しい脚を作る手っ取り早い方法としては、今流行のウォーキング……今更ロミオにはなれないにしても、健康に良いことは間違いないだろう。

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