第24回 記憶に新しい芸術テロ、パフォーマンス、政治との関係

「芸術テロ」というものをご存知でしょうか。テロとはいえ武力行使のような物騒なものではなく、自身の作品を強引に発表する手段を指します。わかりやすいのは道ばたのラクガキですが、時には大がかりなものになることも珍しくありません。最近では渋谷駅にある岡本太郎の壁画(『明日の神話』)が、アーティスト集団によって細工された例が有名ですね。また、イギリスのバンクシーという作家は、美術館などに自分の作品を無断で展示したものの、数日間は発覚しなかったという逸話があります。

幸いなことに、今の時代はブログやホームページで自分の作品を簡単に公開できます。しかし、それを見てくれる人はごくわずかなもの。やはり正式な出展作品として披露する方が観る人の目も質が良く、価値ある助言をくれることも期待できます。それに何より、実績として認められるのが大きなポイント。しかし美術館などに展示されるには審査や作風などが評価の対象になり、必ずしも良い結果が得られるとは限りません。そのため、こうした手段を講じてでも作品を世に送り出したいと考えるのです。

こうした活動によって作品にインパクトを持たせると、よりメッセージ性を強めることができます。それが個人的な思想ではなく、社会的・政治的に訴えかけるための活動であることもしばしば。同時に、それをパフォーマンスとして意図的に行うことも珍しくはありません。アートを通じて社会的な主張をすることで、より多くの人に呼びかけることができるからです。何かを表現しようとするときに、共感が求められるのはごく当然のこと。そうして共感者を生み出していき、目的を達成するためにアートが使われることがあることも覚えておいてください。
東日本大震災後に発生した原発事故の報道があったときに、カメラに向かって指をさす作業員の姿があったのは記憶に新しいことですね。あれも一つのパフォーマンスを解釈することができます。

そのように、現代美術が果たす役割や表現という行為には、みて楽しむ以外にも強いエネルギーが秘められているのです。それを理解した上で、アートが持つ無限の可能性やエンターテインメント性を楽しんでくれたら嬉しいです。

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