アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 35

13世紀から現代にいたるタイ王国の礎を築いたラームカムヘン大王

~ タイ スコータイ 歴史公園 ~

15世紀に大航海時代が到来し、ヨーロッパ諸国は世界の海に乗り出した。アジア地域にも、イギリスやフランスなどの列強国が押し寄せ、各国が雪崩打つように植民地としての支配を受けるようになった。その中で、日本とタイは独立を維持し続けた。特にタイは、西からイギリス、東からフランスの進攻を受けながらも、チュラロンコン大王の巧みな外交手腕によって主権を手放すことはなかった。

第二次世界大戦の戦後には、アジア諸国が次々に独立を果たし、経済発展を進めているが、タイは自国の経済体制を傷つけられることがなかったため、他のアジア諸国よりいち早く発展を遂げた。日本との経済関係は強く、数多くの日系企業がタイに進出している。

現在のタイはバンコクに宮殿をもつ王国であるが、歴史を紐解くと王国建国の地は、バンコクから北へ約440キロ、タイ北部エリアの南の端に位置する古都スコータイだ。1238年に、シーインタラーティットが、スコータイ王朝を樹立したのが王国の起源だ。

当時このエリアで絶対的な権力を奮っていたアンコール王朝が、ジャヤーヴァルマン7世の崩御によって、支配力に翳りが見え始める。そのとき、スコータイに暮らすタイ族が勢力を拡大し、アンコール王朝の支配から脱したのだ。スコータイは、「幸福なタイ」を意味するばかりでなく、パーリ語で解釈すると「幸福な夜明け」となる。

1279年頃に即位した第3代のラームカムヘン大王のときには、最大の勢力をもつようになる。版図は著しく広がり、北はラオスのルアンプラバン、南はマレー半島の南端部ナコンシータンマラート、西はミャンマー国境のペグー、東はメコン川の流域地方にまで及んだ。

ラームカムヘン大王は、軍事、政治、外交、文化すべての分野に目覚ましい能力を発揮し、強大で安定した帝国を築き上げた。行政機構は軍事式に組織する一方で、国民を公正かつ寛容に統治した。モン族が信仰していた仏教を積極的に採り入れ、仏教を国政の柱に位置付けた。

文化面では、独立の象徴として国語を重視し1283年には、モン語やクメール語を基礎とした最初のタイ文字を創案した。この文字を刻んだ碑文が、1292年に作られた。「スコータイ第一刻文」は、タイ語で書かれた最古の碑文だ。

冒頭の「水に魚棲み、田に稲穂実る。」の文言が広く知られている。碑文には、スコータイ王国は豊かな土地をもった牧歌的な国家として描写される。「国王は人民から税金を取らない。」、「人々の顔は明るく輝いている。」などの記述も見られる。

碑文の横には、タイ王国の礎を築いたラームカムヘン大王のブロンズ像が立つ。王の生涯をレリーフに刻んだ玉座に座り、右手に経典を持ちって人民にその教えを説いている。凛とした姿の中に自愛に満ちた表情を浮かべ、偉大な王の性格が滲み出ている。

碑文や像を中心として、周囲には歴史公園が整備されている。東西1.8キロ、南北1.6キロの城壁の中に、ワット・マハタート、ワット・シーサワーイ、ワット・サ・シー、また、城壁外に、ワット・シーチュム、ワット・プラパイ・ルアン、ワット・チェトゥポンなど、数々の寺院が残され往時を偲んでいる。

スコータイ王朝は200年にわたって繁栄を極めたが、マハータンマラーチャー4世で王家が途絶え、1438年に王家の親戚であったアユタヤ王朝のラーメースワン王子によって吸収され消滅した。アユタヤ王朝の後には、トンブリー王朝が続き、そして現在のチャクリー王朝が王国の歴史を継承している。

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