「タイトルのアート性」

村上春樹の新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が非常に話題になりました。

内容云々というより、久々の新作ということでの騒ぎであることは、説明するまでも無いでしょう。

さて、今回面白いと感じたことがあります。

それは「タイトル」です。

今新作のタイトルは長ったらしく、スパッとした切れ味はありませんが、より文学的な香りを漂わせる文字配列になっており、目を引きます。

アート的な感覚で見てみると、その言葉自体の意味というより、視覚的・直感的に訴えかけてくる感じがユニークさを感じさせます。

コンセプチュアルアートのように文字自体をアートとして捉え、特に意味は無く、アーティストの思うようにインスタレーションされるモノと似ている感覚です。

アート作品としてタイトルを考えているのかは、本人しか分かりませんが、どちらにしろ、内容がある物体にネーミングされるのがから意味はあるでしょう。

そうして捉えると、意味とアート性を持つ“タイトル”というものは、素晴らしいアートであることが分かります。

「1Q84」「海辺のカフカ」など、タイトルにセンスのある村上春樹をたまたま取り上げましたが、「あるいは酒でいっぱいの海」・「ティファニーで朝食を」・「抱擁、あるいはライスには塩を」などの他の有名小説でもユニークなものは多くあります。

どれもヒット作ですし、内容も素晴らしいものばかりですよね。

しかし、アートの視点で見ると、読んでみたいと思わせるタイトルが正解なのかどうか、というのは少し微妙かもしれません。

そもそも“なんか良い”“何かを感じる”。この感覚が生まれないことには面白くありません。やはり、文字としての美しさを意識させることと内容が面白いということは、必ずしもイコールでは無いですよね。

とはいえ例外として、美しくアート的なタイトルや文章は、話の内容が面白くなくても、良いと思わせるチカラがあります。

物書きをしている方達の中には、この文章の流れの美しさや、表現の軽快さは斬新さこそを大切にしている方達も少なくはないでしょう。

内容はもしかしたらスカスカなのかもしれない、でも美しくアート的だからこそ、こちらで美化的に解釈してしまう。

何だか分からないけど、アートな音楽を中心に活動しているバンドみたいな感じでしょうか…。

話が大きくなってしまいましたが、タイトルが持つアート的要素というのは、作品云々ではなく、人々の心に訴えかけるものでなければいけないってことなんです。

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