物語.51

参った。ここまで来て迷ってしまった。

そもそも、矢野口駅などアウェイすぎるので、何が何だか分からない。
一応、住所は聞いているし、ユニクロが無い方向だということは分かっていたのだが、気が付くと川を渡る所まできていた。

こんなこと、全く自慢にはならないが、私は極上級の方向音痴であり、昔など駅からアパートに帰れなくなってしまった程だ。とはいえ、ここで迷い続けていたらクレームの火が燃え盛るばかりだ。

「もう…嫌…」

そんなことをつい言ってしまう程、心細く、動悸が激しくなっていた。そんな時、携帯電話が急に揺れた。

「もしもし?沙織?どう?どうせ迷ってるでしょ」

「由香ぁ…。ここどこ~?」

由香からの電話に私は心からほっとした。

「ええと…今さ。どの辺で迷ってるの?」

「川がある」

「川?一応、東野君がお客さんの住所控えといてくれたから地図見てるけど…、全然川の方向じゃないわよ」

「えぇぇ?だってユニクロの逆だって」

「逆だけど、鶴川街道じゃなくて、川崎街道で逆ってことだから」

「何それ?どういうこと」

「もう…とにかく駅に戻って、お客さんに迷ったって連絡してごらん」

「うん…分かった」

何だか泣きそうだ。全く、これではんぺんが腐っていたら、私はこのままこの辺りの高架下で新しい生活を始めたいぐらいだ。

とにかく、遅くなってしまったことには間違い無い。お客様に連絡を入れて詫びておかなくては。

「あ、申し訳ございません。佐々木の名取を申します。あ…はい。迷ってしまって川の方に行ってしまって」

息も絶え絶えで電話をしたのが功を奏したのか、さすがにこの境遇を哀れに感じたお客様は直接駅に来てくれるという。

恐ろしさもあったが、とにかくこちらもほっとした。ちょっとだけ早歩きで駅へ向かう行く足取りも軽く、心もどうにか落ち着き始めていた。

駅に着くと、まだ中途半端な時間であったためか、営業中のサラリーマンに老人や、学生風の男性が入れ替わりで改札を出たり入ったりしている。

私はかなり疲れきっていたようで、何も考えることができず、矢野口駅の看板を見ては「やのやのやのくっちぃ」とおかしな曲を勝手に口ずさんでしまっていた。

つづく

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