永遠の美を求め続けたもの、それは母の面影だった

先日Eテレの日曜美術館でラファエロ・サンツィオを取り上げていた、ルネサンス時代の3巨匠(ダ・ヴィンチ・ミケランジェロ)の一人である。

この時代のものはあまり好みではない、彫刻という点でいうなら、筋肉質むき出しのマテリアルよりも同じイタリア人のジャコモ・マンズーや国は違うがアルベルト・ジャコメッティを好む。マンズーで言うならば、3巨匠たちの歴史的重圧にも耐えながら我が道を貫いた彫刻家だった、それは宗教的なモチーフによってではなく、人間的なモチーフの視点(宗教を)から描いたからである。サンピエトロ大聖堂の扉は、ミケランジェロからマンズーに変わり、創造の歴史転換が行われたと言うことだろう。

さて、そのラファエロだがダ・ヴィンチやミケランジェロに対してライバル意識が強かったと言われている、それは若さ故だろうか。しかしラファエロの生きた時代には、ダ・ヴィンチやミケランジェロが一足先に名声を博していたのだから仕方あるまい。ダ・ヴィンチやミケランジェロと唯一違うのは、ラファエロが夭折したことだ、有り余る才能を以てしても熱病という病に伏し、37歳という若さで亡くなってしまった。

筋肉質ものは苦手だと件で触れたが、要は宗教色の強いものが……と言った方が正しい。とはいえ、折角だから巨匠の一人ミケランジェロのほんの一端を述べたいと思う。

この肖像画の主は誰であろう、ラファエロは美男子だったが、この画は決してハンサムとは呼べない顔立ちである。

神の世界を描ききった、彫刻家にして画家、建築家にして詩人、天才ミケランジェロ・ブオナローティである。

この男の人生は波乱続きだったことはあまりにも有名だ、母親が未成年であったことから石工の家に里子に出され、彼の物語は不運というキーワードがつきまとっていく。

この肖像画はミケランジェロ60歳位の時に、ヤコピーノ・デル・コンテという画家が描いたものだ。フィレンツェやローマで活躍したマニエリスムの画家、コンテ35歳位の時の作品らしい。ルネッサンスの古典主義芸術から脱皮しバロック時代へと移行した時に興った、ヨーロッパ絵画を中心とした芸術スタイルだ。

60歳にしてはあまりにも深い皺だ、凡百で雑駁が人間の日常であるのに、生きる歓びを不可視な母親像(ピエタ像)を胸に抱きながら、ひたすら母なるものを投影し10本の指を無限に広げこねていった、その波乱に満ちた人生が、ミケランジェロの救いだったのだろう。それ故に彼の顔が若さを剥奪し、血の気さえも失わせていった、そんなことをイメージしてしまう。この顔を見つめていくと、どこか哀しみが私を襲うのだ。クランク(変人)として生き続けたミケランジェロ、数奇の運命も長寿というこれまた彼を悩ませたのだろう。

そんな苦悩が見えてくるのは私だけか……。

 

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