アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 37

旅好きのエメラルド仏陀が暫く安置された王宮近くの寺院

~ ラオス ヴィエンチャン ワット・ホー・パケオ~

日本でサラリーマン生活を続けていると、職場や仕事の都合による転勤がつきものだ。突然、転勤の辞令を受けて、引越しをしなければならなくなる。慌しく転居の準備をして引越しをする。住み慣れた土地を離れて、新しい環境で暮らすのは大変だが、生活を支えるためには仕方のないことだ。経済や社会のグルーバル化が進み、転勤先は国内だけに留まらず、海外に赴任しなければならないというケースも増えている。

サラリーマンの転勤の場合は、自分の足を使って生活の場所を変えるが、どうやら仏像も国境を越えて移動することがあるようだ。現在、タイのバンコクのワット・プラケオに安置されているエメラルド仏陀は、数奇な運命を歩んだようだ。現在は落ち着いた姿で寺院の中に座っているが、海外旅行を何度も経験している。

エメラルド仏陀の誕生については謎に包まれている。紀元前2世紀頃に、インド中部のカヤンガラ村に産まれた仏教僧侶、ナーガセーナによって作られたという伝説が伝わる。その後、スリランカやアンコール・トムなどの各地を転々としたとされる。記録が残り始めるのは、15世紀にタイのチェンライに建つワット・プラケオに置かれた頃からだ。

その後、一時的にチェンマイに移り、1551年には国境を越えてラオスに入った。セーターティラート王が、ラーンサーン王国の首都、ルアンパバーンへ運んだのだ。国籍を変えて落ち着くかと思いきや、13年後にはまた引越しをする。1564年のラーンサーン王国の首都の遷都によって、ヴィエンチャンに運ばれた。ヴィエンチャンでの住まいとなったのは、ワット・ホー・パケオという寺院だ。

ワット・ホー・パケオはセーターティラート王によって、1565年に王宮近くに建立された。新都となったヴィエンチャンは煉瓦壁が街を取り囲み、周辺諸国からの進攻に対する堅固な防備を備えた。ワット・ホー・パケオはその中心となり、王国の保護寺院としての重要な役割を担う。エメラルド仏陀が大切に安置され、王家からの篤い信仰を受けた。ラーンサーン王国時代のヴィエンチャンは、メコン川沿いに貿易港をもつアジア地域有数の大都市へと発展を遂げる。

ところが王国は、18から19世紀にかけてシャムの侵入を受け、王都のヴィエンチャンやワット・ホー・パケオは破壊されてしまった。現在の寺院の姿は、1942年に修復されたものだ。創建当時のデザインが残っていなかったため、原型とはかなり異なるスタイルとなっている。

ほぼ正方形の本堂は淡い色調で築かれ、熱帯の濃い緑の中に控えめで質素な佇まいを見せている。左右対象の幾何学的構造が安定感を漂わせる。入口の階段では「ラーイ・ラーオ」と呼ばれる龍のレリーフが、訪れた人を迎えてくれる。王の保護寺院であったため、寺院とは言っても僧侶の姿はなく、現在は博物館として公開されている。本堂を囲む四方の壁には仏陀のレリーフや絵画で装飾が施され、内部や外壁に沿って数々の仏像が並んでいる。

16世紀からラーンサーン王国を見守ったエメラルド仏陀は、さらに旅を続け1779年には、タイのトンブリーに持ち去られた。さらに、1784年にはチャクリー王朝の樹立に伴って、バンコクのワット・プラケオに移され、現在に至っている。

エメラルド仏陀の2000年を超える生涯は、アジア諸国の抗争の影響を受けた波乱に満ちたものであった。今のところ次の旅立ちの予定はないようだが、もしかするとエメラルド仏陀自身が旅好きの仏陀なのかもしれない。

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