衰えない嗅覚

昔の家にはそれぞれに匂いがあった。湿気くさい家、ナフタリン(防虫・防臭剤、もはや死語である)が漂う家、芳しい線香の香り等がどこからともなく空気中にふんわりと泳いでいたのを今でもはっきり記憶している。顔と同じように家には匂いの顔があり、人の息づかいを子供心にも感じていた。

目隠しして匂いを嗅ぎ、友人宅を嗅ぎ当てるという特異な力を持っていた私、まるで猟犬か警察犬みたいだった。そんな嗅覚を持ったために、時に災難が襲う、動物の死骸をいち早くキャッチしてしまうのだ。その臭いがトンネル状に連なり鼻の粘膜に留まる、たやすく消えてはくれない、それは悲惨であった。

匂いの記憶はこれに留まらない、就学前によく母に連れられ地方都市へ小旅行をしたことがあった。当時蒸気機関車が現役だった頃、窓枠の隙間から入ってくる煙と石炭の匂い、床からはニスの香りが地方へ誘う合図。その匂いでワクワクしながら、風景が変わる一瞬一瞬を楽しんでいた。

目的の駅が近くになるにつれ、匂いも景色も一変する。高いビルには興味を示さず、駅の構内から漂う匂い、パンと香水が混じり合ったような甘い香りに酔っていた。

それから五十年が経ち、今もなお私の嗅覚は依然として衰えない、衰えるどころかバージョンアップしているかのようだ。雨を予知できるのである、漁師は浜の風で天気を読むと聞いたことがある、それと同じように天候を読めるのだ。夕方近くベランダに立つと、風向きによって泥臭い臭いがする日がある。すかさず「明日は雨が降るよ」と家族に伝えると初めは誰一人信じてくれなかった。翌日、予報はどんぴしゃり、けれども家族は偶然だと笑うだけ。

それからというもの、時間が許す限りベランダに立ち風の行方を読み、鼻に神経を注ぐ。以来、予報は外れたことはない、父親の権威はないがなんとか予報官として保たれている。

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