アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 40

19代にわたる李氏朝鮮の歴代の王が、抑制された装飾の中で静かに眠る霊廟

~ 韓国 ソウル 宗廟 ~

現在の日本の国家の主権は国民にあるとされる。第二次世界大戦の敗戦によって、民主主義が導入され、国会議員などの代議員を選挙によって選び国政が行われる。天皇は国民の象徴となり国政に携わることはないが、確固とした存在感をもち、元号という形で日本の社会に深く浸透している。天皇家であれば一つの霊廟をもち、歴代の天皇は一所で眠っているかに思えるがそうではない。昭和天皇、大正天皇は東京都八王子市の武蔵陵に埋葬されているが、それ以前の天皇が埋葬されている場所が話題となる機会は多くはない。

日本海を隔てて接する隣国の韓国では、1392年から1910年まで国を治めた李氏朝鮮の歴代の国王の位牌は、宗廟に集められ安置されている。李氏は500年を超える長い期間、19代にわたって続いた王朝だ。宗廟は広大な敷地面積をもち、緊張感が漲る施設となっている。

李氏朝鮮の太祖、李成桂は、建国後間もない時期に一族の霊廟を造営した。開城(ケソン)から漢陽(ソウル)に遷都した1394年の12月に着工し、翌年の9月に完成させた。ところが、1592年からの豊臣秀吉による文禄・慶長の役によって破壊され、その後の1608年に再建されている。

ソウル市内に9つの路線をもつ地下鉄の1号線の鍾路3街を出ると宗廟市民公園の入口がある。木々の緑に包まれ静かな公園を進むと、宗廟の正門となる外大門(ウェデムン)が建つ。蒼葉門(チャンヨンムン)とも呼ばれる門は、間口3間の「平三門」の構造をもち、正門の左右に宗廟を囲む石塀に繋がる。門の色彩は、韓国を象徴する色彩、赤と青の丹青色となっているが、装飾は控えめだ。王家の霊廟の正門であるため、過度の装飾を控えたのだろう。左右に続く石壁は、霊廟と外界を厳重に遮断する役割を担っているかのようだ。

外大門を潜ると、そこから三道(サムド)が霊廟へと導く。中央に神路(シンロ)、右に御路(オロ)、左に世子路(セジャロ)の3つの薄石が敷かれた道が作られている。中央の神路は、「神のための道」とされ、左右の道に比べ若干高くなっている。御路は王が通る道、世子路は皇太子が通る道とされている。李氏朝鮮の時代であれば足を踏み入れることが許されなかった三道を進むと、望廟楼(マンミョル)が目に入る。

望廟楼は、宗廟を訪れた王が休憩をとった建物だ。王はここから宗廟を眺め、先王を偲んだ。王家の霊廟である宗廟の中では、唯一鮮やかな彩りをもった建物だ。緑色の壁や窓に赤色の柱が、くっきりとした輪郭をもちながら、色彩のコントラストを作り上げている。屋根の構造も特徴的で八作チブンという様式が採用されている。

望廟楼からは、池に水を湛えた中池塘(チュンジダン)を望むことができる。池の周囲の四角い囲みは「大地」を、中央にある円形の島は「空」を意味し、大地と空が融和することで平穏な世を願ったと言う。

中池塘を横目にさらに奥に進むと、宗廟の中心建造物である正殿(チョンジョン)が聳え建つ。最も西側に安置される太祖をはじめ、道徳に適った政治を行なった19人の王とその王妃の位牌が安置されている。位牌が増えるに従って増築が重ねられ、最終的に101メートルの長さとなった。単一の木造建築物として、世界最長の規模を誇っている。モノトーンで単調に伸びる建造物には、目を引くような装飾は全くなくシンプルなものだが、張り詰めた緊張感を周囲に放っているようだ。李氏朝鮮を支えた19人の歴代の王たちは、ここで静かに眠っていることだろう。

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