忘れじの武蔵野に盃をあげて

 

北口を出て中道通りをまっすぐ進むと十字路にぶつかる、その路地を少し入った処に燁(あき)という瀟洒な店がある。但し、そこに入るには少し勇気が必要だ、気後れするほどに凛とした佇まい、入口は一段低くなっていて、一見客はお断りのような雰囲気なのだ。分厚い木製ドアを開けると微かにお香の薫りが店内を包む、初見の印象とは違い、とても家庭的で趣きある酒場である。

藍染めの作務衣を着ていた”おとうさん”は13年前に鬼籍の人となった。柔らかい語り口、そしてもてなし方に品位があった、どれもこれもが客をもてなすとはこういうことかと感心したほどだった。現在は娘さんとお母さんが店を切り盛りしている、と思う。思うと書いたのは、長い事ご無沙汰して現状を把握していないからである。

燁、”輝く様な美女をあらわす”という意味らしい、愛娘を指すのだろうか。来歴はこの店を紹介してくれた友人から聞いたのである。友人と書いたがこの男とは何度も喧嘩しては疎遠になり、また復活するという奇妙な関係であった。だから、何事も包み隠さずなんでも言える間柄、こいつとどれくらいこの燁に通ったことだろう。腐れ縁の友人も私と同じような生業で、互いに今なお辛酸を舐めつつ社会に弾かれながら生きている。

今どきの飲み屋と言えば、会話もろくに出来ないほどけたたましい、だがこの店は違う、ノイズは会話と酒を注ぐ音ぐらい、音楽も一切無い、会話も洒落ている。カウンターは6席、他に3~4人が座れる席が二つ、この空間の中で大人の会話が繰り広げられるのだ、アートに、哲学、そして文学、時には艶めかしい話題に花が咲くこともある、酔客たちは静かに美酒と戯れ、各々饒舌さを紐解いていくのである。そんなことから此処に集う酔人にネクタイ人の姿は少ない。斯様なところでケイザイの話でもしようなら、野暮天と嘲笑されるだろう。

私は腐れ縁の奴から日本酒の旨さをこの燁で教えてもらった、石川県の山廃純米生原酒無濾過、菊姫である。舌に纏わり付くような味わい、風味はミドルエイジのもつれた男女の恋愛に似た感じがする、今流行のフルーティな味わいとは一線を画す味である。肴はわさびと吉野梅を叩いた鶯宿梅(おうしゅくばい)、これが日本酒にぴったりはまるのだ。

今回は図らずも酒場を取り上げたが、そこに本意があるのではない、吉田類が出没するような酒場で煩悩の煉獄を経るのも悪くはない、唯一願うは静かに盃を傾ける場所があっても良い、ではないか。

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