食のグローバリゼーション 16

一日一食の修行僧の精進料理

~ ミャンマー バゴー カカットワイン僧院 2/2 ~

毎朝10時30分の銅鑼の音を合図に、カカットワイン僧院の修行僧は食堂に向かう。1000人を超える修行僧が暮らす僧院なので、瞬く間に廊下には長い列ができあがる。前の人の歩みに従ってゆっくりと列を進むと、列の先頭は食堂の入口に繋がり、ここでご飯を受け取る。大きな釜の中には、托鉢で集められたご飯がどっさりと入っている。ご飯を受け取って食堂に入れば、一日一回の食事にありつけるというわけだ。

普段はだだっ広いだけの食堂に、ぞくぞくと修行僧が入ってくる。空疎な空間は見る見るうちに、ぎっしりと修行僧で埋め尽くされていく。まるで、日本のデパートのバーゲンセール会場のようだ。一日中厳しい修行の時を過ごす修行僧にとっては唯一、解き放たれた時間ということになるだろう。食堂の中の修行僧の表情は和らぎ、ゆとりを感じることができる。

食堂の中にずらりと並ぶ円卓の各々に数人の修行僧が車座になって座る。大勢の人が一堂に集まると、騒々しくなるものだが、僧院の食堂は話し声もまばらで比較的静かだ。食事をとるという行為も、恐らく修行の一つとされていることだろう。食べ物に感謝しながら、静かに食事を進める。

一日一回の食事なのだから、メニューに大きな期待を膨らませたいところだが、そこは僧院での料理だ。当然、精進料理だ。肉類や魚介類が料理に使われることはなく、正真正銘のヴェジタブル料理だ。日本で質素倹約の食事をする際には一汁一菜の献立が考えられるが、カカットワイン僧院のメニューは何と呼べばよいのだろうか。ミャンマー風ヴェジタブル・カレーに、茄子のぶつ切りだ。料理ばかりでなく、色彩的にも地味な彩りで質素な印象を与える。茄子のぶつ切りを香の物とすると、一汁のない一菜と言うべきか、一菜のない一汁と言うべきか迷うところだ。カレーの具には数種類の豆や野菜が入っているように見えるが、具だくさんカレーとは言えない。一日一回の食事がこれでは可哀想に思えるが、やはりこれも修行の一貫ということだろう。

しかし、修行僧といえども人間だ。一日にこれだけの食事で栄養価は賄えるのか疑問だ。
栄養のバランスだって気になる。人間が生命を維持するための糖分はご飯で、体調を整えるビタミンは野菜や果物でとることができるだろう。ところがタンパク質はどうなのだろうか。人間の成長、筋肉や臓器の形成にはタンパク質、アミノ酸が必要だ。特に若い育ちざかりの人にとっては、タンパク質は欠かせない栄養素のはずだ。動物性タンパク質を摂取しなくて大丈夫なのだろうか。動物性タンパク質がだめとなれば、植物性タンパク質を摂取するしかない。植物性タンパク質を含む食材で最初に思い浮かぶのは大豆だ。大豆やその加工品を頻繁に食べているのだろうか。殺生をすることなく得られる牛乳などもありえるかもしれない。

厳しい修行に耐えるためには体力が必要だろう。全ての人間にとって、第一の資本は体だ。少ない食事や、食材で、修行や生活に必要な最低限のエネルギーを摂取しているのだろう。

最近、日本では健康食という言葉を耳にする機会が増えている。飽食の時代を生き、メタボになった人たちが、反省の意味も込めて低カロリーの食事をするようになる。人間の健康や成長のための理想的な食事はどのようなものなのだろうか。

カカットワイン僧院の料理が理想的なものとは考えられないが、日頃の贅沢な食事を見直す必要はありそうだ。栄養のバランスを考えなければならないだろうが、あれもこれもと欲張ることは、きっと体にはよくないだろう。

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