ゲンスブールとジャズ

セルジュ・ゲンスブールのドキュメンタリー映画”ノーコメントbyゲンスブール”が没後20年企画として文化村ル・シネマで7月27日より上映される。
そのチラシには”愛されたくないが愛されたい。そう、それが私なのだ”というヘッドが書かれていた。
映画のシーンには時代を唆すかのような言葉がいくつも散りばめられていた、
「私にとって挑発は元気の元だ、人々を揺さぶりたい」
この言葉からあなたは何を連想し、どんなことを感じるだろうか。今、世界はどんよりとした雲に包まれている、言葉が言葉として伝わらない空漠の中に我々は生き、不安という不可視なガスの塊が充満している。
ゲンスブールの生きた時代はどうだっただろう、人間という生き物が息づいている限りさして今と変わらないだろう、それでも尚ゲンスブールは挑発し続けた己の弱さを秘めながら。

浮き世を流すなんていう言葉も今では死語となってしまったが、ゲンスブールこそそれに当てはまるような生涯だったと思う。ありったけのエナジーを女とアートと音楽に費やし、燃え尽きていった。
ただし誤解しないで頂きたい、ただの女たらしではないことを。迸るほどの知性とセンシティブに裏打ちされたものがあったからこそ、”ゲンスブール”は存在したのだ。

あらゆるアートをゲンスブールという肉体にメタモルフォーゼしてしまうS・ゲンスブール。作詞・作曲家、シンガー、俳優、映画監督、CMディレクター、カメラマン、小説家、画家、その数多ある才能にひれ伏し嫉妬さえ覚える。ゲンスブールは云うだろう”私に肩書きは不要だ、私そのもので充分だ”と、そんな言葉が聞こえてきてしまう、これはあくまでこちらの想像でしかないのだが。
顔つきはけっしてハンサムとは云えない、厳つい鷲鼻、無精ヒゲ、酒と煙草で潰された声、だがその姿態から放たれるエロスと破滅感が限りなく似合うのだ。
二十世紀の男たちや女たちはゲンスブールに酔いしれ、その魅力に取り憑かれていった。

もちろんゲンスブールの呪縛は私にも舞い降りたのは云うまでも無い、それは高校時代の時だった。PCも無い時代に彼に近づく方法はただ一つ、それは映画だった。
「スローガン」「ガラスの墓標」そして曰く付きの「ジュ・テーム・モワ・ノン・ プリュ」etcゲンスブールが創る映画は常にセクシャルでスキャンダラスな話題を呼んだが、当時の私にはつまらなかった。それよりもゴダールやジャック・ドウミ、アラン・レネ、ジャン・ルーシュ、フェリーニ、パゾリーニと言った監督たちの方が青臭かった私をある感情の淵までどっぷり浸され耽溺しまったほどだ。
だからゲンスブールに夢中になったのは音楽だ。ゲンスブールはパリのキャバレーでピアニスト兼歌手としてスタートした、レジスタンス的な詩を標榜するボリス・ヴィアンから多大な影響を受けたらしい。
ゲンスブールとJ・バーキンとのデュエット曲“ジュテーム、ジュテーム”はセンセーショナルな話題を呼んだが、私は線香花火のように一瞬で果てた。ロック、ジャズ、ラテン、レゲェ、エレクトロ……貪るように何でも彼は歌った。
中でも私を虜にしたのはジャズだった、ジャケットのタイトルは”ジャジィ・ゲンスブール〜ジャズと自動車事故”、なんともゲンスブールらしい表題だろう。彼の歌声はインプロビゼーションに身を任せ、売り文句の”挑発”はどことなく柔らかい。
7月27日より劇場でゲンスブールの声が聴ける、”聴かせたくないが聴いてもらいたい。そう、それが私なのだ”ゲンスブールよ、永遠なれ。

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