アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 42

百獣の王が国父の霊廟に向かう人々を迎えるライオン・ロード

~ トルコ アンカラ アタテュルク廟 2/2~

トルコ共和国の建国の父、ケマル・アタテュルクは、首都アンカラ市街地の南東に位置する丘の霊廟に永眠している。第一次世界大戦の終戦直後の1923年、オスマン帝国の解体とともにケマル・アタテュルクは大統領に就任し、国教分離政策を基本として、イスラム教の習慣に基づく社会を一新しヨーロッパ化を促進した。ケマル・アタテュルクは現在でも国父として、絶大な支持を受け尊敬され続けている。

アタテュルク廟の前には、4万人を超える人々を収容する広場が作られ、大勢の人々が一堂に会しながら偉大な国父を偲ぶことができる。広場の入口には共和国のシンボルとも言える「独立の塔」と「自由の塔」が立ち、国父の偉業を讃えている。各々の塔の前には、男女3人ずつの彫像が立つ。

「独立の塔」の前には、3人の男性像が立ち各々、学業、農業、軍事を象徴している。書物を持って立つ男性の姿は教育に基づくトルコの発展や未来、農夫をイメージした男性像は国の産業や安定、軍服を身につけた男性像は国力を暗示している。学業、農業、軍事の3つの柱が近代的な独立国家の基礎と言えるのだろう。それとは対象的に、「自由の塔」の前では、3人の女性が国父の死を悼んでいる。中央の女性は、悲しみのあまり目頭を押さえている。合計6人の国民の像は、しっかりと背筋を伸ばし、均整のとれたバランス感をもち、近代国家成立に対する自信を漲らせているようだ。

2つの塔、像の袂からは市街地に向かって霊廟の参道とも言えるライオン・ロードが続く。石畳の道の両側に、ライオンの像が並んでいる。白色の石が一直線に敷き詰められた参道は、足場を固めるとともに霊廟に向かうエネルギーを凝縮している。石畳の道を踏みしめながら霊廟に向かう人々を両側から数十体のライオンが見つめる。ライオンは百獣の王と言われるが、トルコでも勇気の象徴として尊ばれている。偉大な国父のリーダーシップを暗示している。勇猛果敢なライオンではあるが、参道に並ぶライオンの表情は人懐っこさを漂わせ、訪れた人々を暖かく招き入れているかのようだ。

アタテュル廟は小高い丘の上に位置するため、ライオンの像の合間からはアンカラの市街地の眺望が広がる。アンカラは、現在では人口300万人を超える近代都市となっているが、ケマル・アタテュルクが共和国の首都を置いた当時は、人口わずか6万人の地方都市だった。東ローマ帝国時代からオスマン帝国の時代にかけて、トルコの中心はイスタンブルであった。そのイスタンブルを避けてアンカラに首都を置いたのは、古い歴史の影響から解き放たれた新しい国家を作るというケマル・アタテュルクの強くて固い意志の表れだったのかもしれない。

現在のアンカラは、オスマン帝国時代からの歴史を引き継ぐ旧市街地のウルスと、トルコ共和国政府がウルスの南側に計画的に整備した新市街地のイェニシェヒルによって構成されている。イェニシェヒルには赤い屋根の中層建築物がぎっしりと立ち並ぶ。アンカラ廟から市街地を眺めると、都市の建設の計画性が手に取るように見てとれる。屋根や壁の色彩ばかりでなく建物の高さにまで、見事な統一感をもっている。約一世紀前に首都となった各地からアンカラに多くの人々が移り住み、共和国の完成に力を注いだのだろう。市街地の光景には人々の生活感だけではなく、近代化を促進するパワーが漲っている。

ケマル・アタテュルクは自らが建設したトルコ共和国と、首都のアンカラを見守りながら静かに眠っているのだ。

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