29年前の絵本、レオ・レオニ

Leo Lionniの生誕100周年の個展が渋谷のザ・ミュージアムで8月4日迄開催された。

 

名前はレオ・レオニ、29年前渋谷の児童公園近くにあった「童話屋(杉並へ転居)」で求めた絵本にはレオ・レオーニと表記されていた。やはり気になってしようがない発音が、”Leo Leonni”ならばレオ・レオーニで納得がいく。

名前は所詮記号だから、どう呼ばれようが構わない、それもアリだと思う。しかし、それでも気になる、レオ・リォーニと表記されればこちらとしてはしっくりくるのだが。よその国へ旅行し、異国人から全く違う呼び名をされたら気分悪くはしないだろうか、はて、これは私だけの思い過ごしか。

彼はオランダのアムステルダムに生まれ、イタリアで育ったが29歳の時にアメリカに亡命、そして再びイタリアへ移住した。89年の履歴を詳らかに書くことは不可能だが、イタリアでのレオニ家族は人種差別やファシスト政権下のなかで大きな迫害を受けた。

29年前、新聞の書評欄に紹介されていた”あおくんときいろちゃん”が目にとまった。ちょうど第一子が生まれた時である、当時はスポック博士の育児書や区から頂いた育児書はあったが、それでも子育てと向き合うのには狼狽える日々の連続だった。今や育児書は月刊誌まで登場し、子育てに関する雑誌はバラエティに富んでいる、だが時代変れど、これが正解だという子育てマニュアルは……さてどうだろう。

そんな最中に、藁にもすがる思いで求めたのがあおくんときいろちゃんだった。大人に成りきれてない親が子育てをする、これは刻苦以外のなにものでもない。

頸も座り、あやふやな言葉も出かかった頃、この絵本を朝から晩まで読み聞かせた。一歳にも満たない赤児に分かるはずも無い、けれどもその繰り返しをする内に彼の表情は少しずつ変わっていったのである。

それは言葉ではなかった、色だった、色が持つ強さである。

陋屋にはたくさんの児童書が山積みされている、どの絵本も思い出深い、だがこの”あおくんときいろちゃん”だけは特別なものを感じるのだ。見ての通り、あちこち破れていて花布も破損し手垢だらけの絵本になってしまった。狭小の家なのにいまだ絵本を棄てられずにいる、いや棄てられないのだ。

絵本のカバーそでに訳者が書いた”かきそえ”がある。大本の原稿には「この本をピポとアンとその友だちに捧げる」と書いてあったそうだ、レオ・レオニの孫たちである。おちびちゃんたちが彼のアトリエに遊びに来た、仕事の邪魔だと一喝する訳にも行かずレオニおじいちゃんは青と黄の絵具で画用紙に色の音符を一音一音落としていった、その時自然に生まれたのがこの物語の始まりだったという。

レオニにとっては偶然ではない、色を混ぜると何色になるかは知っている。だが可愛い孫たちと遊んでいく内に、彼自身が孫たちと同じ目線となってレオニ本来の無垢な心がこの作品を誕生させたのだろう。

このボロボロになってしまった絵本、29年前の思いが倅へと受け継がれるかも知れない。今春、倅は父親になった、まだ歩くことさえままならない幼児だが彼女も亦倅のようにこの絵本を見てくれるのだろうか。

それまで大事に取っておこう。

 

 

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