食のグローバリゼーション 22

数々の名作を作曲するエネルギーを産み出したモーツァルト家のキッチン

~ オーストリア ザルツブルク モーツァルト生家 ~

「神童」の名で時代と国境を越えて愛されるモーツァルトは、僅か35年の短い生涯の中で数々の名曲を残した。幼少の頃から音楽の才能を見出され、交通の便が現在ほど発達していなかった18世紀に、ヨーロッパの隅々まで旅をしながら多彩な音楽活動を行った。モーツァルトの作品は、現代社会でも色褪せることなく、毎日のように演奏会のプログラムに組まれている。

大作曲家の生涯を偲び偉業を讃える思いからか、モーツァルトの生家が今でもオーストリア、ザルツブルクのゲトライドガッセに残されている。クリームイエローに塗られた外壁は、エレガントなムードを漂わせ、中世の面影を色濃く残すザルツブルクの旧市街の景観に見事に溶け込んでいる。

1747年、モーツアルトの父レオポルト、母アンナ・マリアは、当時ヨハン・ローレンツ・ハーゲナウアが所有していたアパートの4階に住むようになった。1756年1月27日の夜には、2人の三男としてヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生した。産声をあげてからマカルト広場のタンツ・マイスター・ハウスに居を移す1773年の秋までの約17年間、モーツァルトはここで暮らした。

5歳のときに「アンダンテ ハ長調 K.1a」で作曲活動を開始し、数々の名曲がこの生家で産まれた。世に名高いマリア・テレジアの御前演奏は6歳のときだから、このアパートから遥々ウィーンまで出かけたことになる。

18世紀の記念すべき民間アパートは現在、ミュージアムとして一般公開されている。館内には、モーツアルト一家の肖像画をはじめ、モーツァルトが使用したハンマークラヴィーアやヴァイオリン、自筆譜が展示されており、モーツァルト・ファンには見逃せない空間となっている。

音楽的な展示品の他にも、モーツァルト一家の厨房が再現されている。部屋の隅に竈が設置され、鍋を釣下げる金具が生活感を放っている。一口コンロのように見えるが、大きな竈には、複数の鍋やフライパンを置くことができそうだ。窓辺のテーブルではアンナ・マリアが野菜や果物を切ったのだろうか。この厨房で作られた料理がモーツァルトを育て、名曲を産むエネルギーとなったわけだ。

ところで、モーツァルトはどのような食事をしていたのだろうか。演奏旅行しているときは、宮廷で豪華な食事をすることが多かったに違いない。でも、日常の家庭料理となると、贅沢な食材をふんだんに使うわけにもいかない。おまけに、父レオポルトはかなりの倹約家だったという話が伝わる。ザルツブルクの生家での料理は質素であったのかもしれない。尤も、人生の3分の1は演奏旅行に明け暮れていたわけだから、自宅で食事をする頻度は少なかったのだろう。

厨房を見渡してみると必要なものは一通り揃っているが、一流レストランのシェフが腕をふるえるようなイメージはない。天井は低めなので、竈に火をくべると部屋の中が煙りそうだ。ザルツブルクは冬の寒さが厳しいため部屋の容積を小さくするために、天井を意図的に低くして暖をとったのだという。心なしか圧迫感を感じる。

幼い子どもには、一日三度の食事ばかりでなく、おやつも欠かせない。モーツァルト一家がこのアパートに住んでいた頃は、1階でハーゲナウアがデリカテッセンの店を営んでいた。モーツアルトや姉のナンネルは、しばしばここでお菓子をもらったと伝わる。宮廷での豪華な料理、質素な家庭料理に加えて、階下で調達したお菓子が、数々の名曲を産み出すエネルギーへと変えられたのだろう。

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