イザベル・コイシュ、その人

8月15日は終戦記念日、あれから68年が過ぎた。但し戦勝国から見ればポツダム宣言に調印した9月2日が終戦記念日なのだそうだ。日付はどちらでもよい、忘れてならないのは亡くなった方たちのことだ。

当時の政府機関の発表によると、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人、なんと痛ましい数字であろうか。兎にも角にも、過去の惨劇が二度と無いことを祈るだけである。

その悲惨な体験をした方たちの”声”が今メディアで取り上げられている、これまで口をつぐんでいた人たちの声だ。”今、言わなければ悔いが残る”と、異口同音に語る、皆階級の低い先兵となった人たちである。前線で戦った人たちにしか分からないことがある、それを秘匿する訳には行かないのだと熱く語っていた。

6年前、六本木でイザベル・コイシュ監督の「あなたになら言える秘密のこと」を観た。大分昔の映画だが、少しだけそのあらすじを掻い摘まんで紹介したいと思う。レビューを読むと殆どがラブストーリーとしての感想が大半だったが、けっして甘ったるいものではなかった。

これを撮った監督はスペインの女性、その理由だけで劇場へ入った。ペドロ・アルモドーバル監督”の”オール・アバウト・マイマザー”を観て以来スペイン人の描く映画の虜になったからである。どちらもインディーズ系の路線を走る監督たちだ、フランス映画もつまらなくなった、日本に配給されるものと言えばハリウッドスタイルのものばかりで退屈極まる。もっと身体を剔るような映画が観たかったのだ。

スペイン人の描くもの、全てとは言えないけれど、底に流れるものは”生と死”が垣間見える、アルモドーバル監督がまさしくそうだ。それはスペイン市民戦争、そしてフランコ独裁政権の圧政が長きに渡り苦しんできた背景があったことが「死」と「生」を身近にイメージしているのかも知れない。

「あなたになら言える秘密のこと」、メインの舞台は海底油田掘削所、360度見渡す限り海の景色、イザベル・コイシュ監督の視点に感服した。まさにここは孤独を味わうのにぴったりの場所である。

主人公である女性、職場と自宅を往復するだけの毎日、寡黙でその表情には翳りがあった。そんな中、休暇を取り旅に出る、その旅先のレストランで食事をしていると男が携帯で大きな声で喋っているのが聞こえてくる。男は看護師を探しているのだった、彼女はその男に近寄り自分は看護師だと告げる。

そこから場面は大きく展開していく、火災に巻き込まれ火傷を負った男を看護するためにヘリで海底油田掘削所へ向かう。その時のシーンがとても気になったのだ、バックパックに石けんを入れる場面である。2週間という看護のためにたくさん石けんを詰めるのだろうと思っていた。だが、監督は執拗にその石けんをアップで見せるので何かメッセージめいたものを感じたのだった。

 

火傷によって角膜を傷め一時的に失明状態になった男は己の不安から饒舌なまでに彼女に話しかける、それはたわいもない話しだ。恋人は……名前は……何気ない日常の会話である。だが、彼女は心を閉ざしけっして口を開かない、与えられた職務を淡々と遂行する彼女。

海底油田掘削所には腕の良いシェフ、採掘人たちから嘲笑される海洋学者、男同士の抱擁する場面、他にもどこか孤独を抱えた男たちがいる。全員がなにかしらの過去を背負い海底油田掘削所で働いている。

 

火傷を負った男は自らの過去を彼女に語り出す、徐々に彼女の心が氷解していく。そして彼女はブラウスを脱ぎ、未だ目が見えない男に胸を触れさせるのだった。その胸にはいくつもの傷があり、男はそのむごさにむせび泣く。彼女は自らの苦い体験を少しずつ話していく、ボスニア内戦で民族浄化に巻き込まれた被害者だったのだ。その内戦はまだ記憶に新しい出来事である。

 

病院で治療可能となった男はヘリで病院へ搬送される、二人は手を握りしめ海底油田掘削所を後にする。病院へ到着すると彼女は男と言葉も交わさずその場から逃げるように立ち去ってしまう。

退院を迎えた男は病院の窓口でバックパックを渡される、その荷物は彼女の持ち物だった。一度は拒否したものの男はそれを持ち病院を出た、中身はたくさんの手紙とひとつだけ残った石けんだった。男はその石けんで丁寧に顔を洗う、全てを洗い流すかのように、この映画の全編を成しているものは、浄化なのだ。

この映画、反戦映画ではない、人間の生きる術を描いた作品だ。今どきの感動ものではない、人はどう生きていくかを真正面から私の身体を責め立ててくる。

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