芸術家たちの、幸福と不幸

我が国に於いて、異国の地で長期逗留し名声を上げた日本人アーティストには、一瞬持ち上げることはあっても、根っこの処では非情だ。

外国での成功を歓迎するこそあれ、そこには嫉妬やルサンチマンはびこる根深いものがあり、それが日本人特有の通性のような気がしてならない。

以前、ここで紹介した国吉康雄もその一人だ。

岡田謙三、藤田嗣治、野田英夫、ノグチ・イサム……そして北川民次や石垣榮太郎もいた。

石垣はアメリカの画壇でデビューし、アメリカ美術家会議の創立準備委員となり名声を勝ち取ったが、日中戦争、太平洋戦争中は、日本兵に対する反戦の呼びかけ運動を行ったとしてマッカーシズム(共産主義者に対する政治的運動排除)影響の下、国外退去となり日本へ帰国する。

それ以後、国内での活動は厳しさを増していった。

しかし、藤田嗣治だけは様子が違っていた。

オカッパ頭の藤田はパリのサロンでの人気は目覚ましく、一躍パリ画壇の寵児となった。

しかしその才能も戦争が禍し、第二次大戦勃発後帰国し陸軍美術協会理事長に登用され、軍部に協力し戦争画を描き聖戦美術の巨匠と謳われた。

それが端緒となり、敗戦後日本画壇たちから藤田に戦争責任論議が取り出され、恰好の的となってフランスへ去って行った経緯がある。

たとえその戦争画が戦場の残酷さを表現していたにせよ、アーティストは何ものにも偏らない自由なスタンスであって欲しかった。

藤田がどんな思いで戦争画を描いたかは分からないが、厳しい治安維持法体制下で戦争画を描かざるを得ない状況に追い込まれたのかも知れない。

それ以後、二度と故国に足を踏み入れること無くフランスで創作活動に打ち込んでいった、その時、藤田はこんなことを言っている「私が日本を捨てたのではない。

日本に捨てられたのだ」と。

フランスレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られた後、カトリックの洗礼を受けた藤田はレオナール・フジタとなる、この洗礼は戦争画に荷担したということへの改心なのだろうか……。

面白いことにコミュニストとして有名なパブロフ・ピカソ、そのピカソと藤田は生涯の友だったとか、その一方で件の国吉、一時期アメリカで藤田と一緒だったと言われているが、かなり犬猿の仲だったらしい、言わずもがなである。

日本では報われない可能性を海外で見出したい、そのような画家が過去には大勢いた、その中には名も知れず消えて逝った画家もいるだろう。

才能あるもの、必ずや成功するとは云えない、それはどの職業にも当てはまることだが、日本に於いては画家としての力量を見るのではなく、”有名という名札”の名声に人は飛びつく。

その顕著が、今騒がれている江戸時代の画家、伊藤若冲だ。

江戸絵画コレクターのジョー・プライスがいなければ、学芸員や美術関係者たちの中で終わっていただろう。

内から出たのではなくこれもまた外からの力(絵を見る力)が生じてのことだ、異様である、日本人資質というものは、もう右へ倣いは止めた方が良い。

ゴッホ、ピカソ、シャガール、ダリ、モネ、ダ・ビンチ、ルノワール、フェルメールと言った作品は数え切れないほど日本各地で催されている。

いつも長蛇の列である、それは名前だけでチケットが捌けるからだ、絵を見るというよりも話しのネタとしての力学が働いているとしか思えない。

すぐれた作品を観るのは良いことだが、身近にある無名の画家に目を向けるのも良いのではないだろうか、そこで審美眼を養う、大家の作品とは違う新しい発見がそこにはある。

作品を観てもらえないほど悲しいものはない、人々の目に触れてこそ作品は輝く、誰も訪れないギャラリーに展示されている絵ほど不幸なものはない。

ジョージア・オキーフは言う「私は自分の作品を人には見せたくないのです……私の言っていることは矛盾しています……人々が理解しないことを恐れ、そして彼らが理解しないことを望み、そして彼らが理解することを恐れるのです」なんとも手前勝手で意味深い言葉だろうか。

その芸術家の成功の幸福と不幸だが、それは本人が意図しているものではなく、成功を得たものにはある種の”割礼”のようなものが関わってくる。

当時ニューヨークに住んでいた池田満寿夫はドイツの著名な美術批評家に見出され、ベネツィア・ビエンナーレで賞を取り時の人となった。

池田が帰国してからの活動は目を見張るものがあった、本業の他に作家活動、映画監督、陶芸、そしてメディアでの司会業と八面六臂の活躍だ、その光景は異常なほどに思えた。

司会業などは論外だと思うが、池田自身は喜んでやっていたのだろうか。

日本では、一度脚光を浴びると、キャラクターが面白ければメディアの露出度は限りなく、表現は悪いが擦り切れた雑巾のようにボロボロになるまで扱う、あの岡本太郎もそうだった。

池田も岡本双方とも見識があり、そんなことは重々承知の上で出演していたのだと思うが、ここに芸術家の幸福と不幸が見え隠れする。

成功した芸術家はいかなる場合でも世に晒される存在で、ひとつ間違えば奈落の底へと落とされる宿命を持っている。

ゴッホはどうだろう、存命中はなにひとつ恵まれない境遇だった、日々の暮らしもままならず弟からの仕送りでなんとか凌いでいたゴッホ、”虎は死して皮を留め、人は死して名を残す”の箴言があるが、まさしくゴッホはそうだった。

また、資本主義社会への痛烈な揶揄を試みたスイスの前衛芸術家ジャン・ティンクゲリーの自動破壊装置彫刻は、彼が目指したものとは正反対の資本家たちのもとへと運ばれていく、これも不幸である。

買い手を選ぶことはできない、それを拒否していればアーティストとしての生命は断ち切れてしまう、つまり成功した芸術家にとって不可避にも持たなければならない不幸である。

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る