待つvol.1

女は待っていた、雨降りしきる中を。
いくつもの時代を経て、そして半世紀が過ぎようとしている。
彼と出会ったのはサン・ジェルマン・デ・プレ教会、従姉妹が結婚式を挙げたとき、彼は新郎の友人として招かれていた。ちょうどその日も小雨混じりで路面が濡れていて、見上げるとプラタナスの葉が大きく雨粒で揺れていた。
1944年の8月ナチス占領下のパリが解放され、翌年に従姉妹は式を挙げた。
パリの街はいまだパリ解放の歓喜が鳴り止まず、裏街では占領軍に協力した市民が暴徒化する同胞たちから目を覆うようなリンチに遭い命を落としている。
教会の壁には銃撃戦の傷痕がいたるところに残っていた。
その彼もまたレジスタンスとして戦い、占領軍との銃撃戦で足首を撃たれ、松葉杖をついて教会に現れたのだった。その時の印象は片足を引きずっている負傷者、ただそれだけだった。私の友人も戦火の渦に巻き込まれ、私は野戦病院の怒号の中で看護助手として働いていたこともあり驚くことはなかった。

パリの街は戦争の傷跡が激しく、工場、記念碑、橋梁、地下水道など、ありとあらゆる建造物に対して地雷を敷設させていた為に、街の復興が遅れていた。教会での挙式が終わると、親戚と友人たち数名で近くのカフェを探した。けれども営業しているカフェなど一軒もない、諦めず歩いた、どれくらい歩いただろう、裏通りの四つ角をいくつも通りすぎようやく見つけた、そのカフェは”華”という名前の店だった。店内には若い男女が会話に飢えたかのように喋り続けている、私は言葉を失うほど歓びに打ち震えた。年老いたギャルソンが忙しくコーヒーを運んでいる、この光景を見て初めてパリが解放されたのだと実感したのだった。

“華”は人で埋め尽くされている、そんな中に挙式に列席した彼が空席を探しているのを見つけた、彼は独りで立ちすくんでいる。
彼は私と目が一瞬合った、私は目を逸らし気付かないふりをし、友人たちと歓談に興じてしまった。彼は踵を返し店の外へ、それも足を引きずりながら。たまらず私はいくつものテーブルをかき分け彼の下へ駆け寄った。
その時気付いた、彼の名前を知らなかったことを。
私は彼の肩をそっと叩き、友人たちのテーブルを指さした、彼は軽く頷き私の下に近寄ってきた。
カフェは時間経過と共に人の数が減っていく、一人去りまた一人と。親戚も友人たちも帰って行った、残ったのは私と彼だけだった。

彼はレジスタンスに参加する前まで、出版社の編集者であったことを教えてくれた。主に、美術や哲学書などが専門で、その会社は爆撃により崩壊してしまい仕事仲間も行方不明だという。戦争で傷付き、未来になんの保証も無い人生に彼は茫然自失の状態で、その昔の面影を少しでも味わいたいとこの”華”にやってきたのだという。
私は大学で美学を専攻し、卒業後は美術館で学芸員として働きたいと願っていたが、私もまた彼と同じく未来の希望を失っていた。その失われた希望をボリス・ヴィアンの歌に託し、サルトルやボーヴォワールの”存在と無”について熱く語り合ったりもした、でもどこか本気になれない自分があったことも確かだった、何も見いだせない自分がそこにいたからだ。
厭世観漂う私を気遣ってか、彼は私の闇の膿を静かに洗浄するかのように語りかけてくる、”力は弱さの中で完成される””この言葉は私の深部にまで届いた。そう、強くなくても良いのだ、長い間心の弱さを責め続けてきた私だった、僅かであったが甘いため息が私の胸にすっと入っていく。彼こそ落胆の檻の中に生きているというのに、私を励ますことに懸命だった。
激しさの内の爽やかさ、切なさの透明さ、醜さを尊厳に、そのような感覚が彼の顔から滲み出て、胸が締め付けられるほど私は引き寄せられていった。
私は彼との再会を約束し、カフェを後にした。

大学に復学したものの三年の途中で諦めてしまった、学ぶ意欲も消え失せ働かなくてはならない事情もあった。アルバイトをしながら学芸員の職をリュマニテの求人欄で隅から隅まで読みあさる、鬱ぎ込む日々の中、彼から手紙が届いたのだった。

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