二人のフルートセッション@浜離宮朝日ホール

大雨をもたらした台風18号から一夜明けた翌日、友人に誘われた浜離宮朝日ホールへと向かった。台風が都内を直撃とニュースで伝えていたがそれは杞憂であった、しかし蓋を開けてみると中部・近畿・関東地方の一部での被害は甚大なもので、今回の台風の恐ろしさをいやと言うほど見せつけた。
喉元過ぎればなんとやらで、新橋界隈のネクタイたちは何事も無かったかのように夜の街へと繰り出していた。サラリーマンの聖地である新橋、銀座から新橋へ移転した広告代理店へ時折出向くことはあるが、どうもこの場所は何度来ても落ちつかない、ダークスーツを身に纏うオジサンたち(私もそうだが)の圧倒臭についつい怯えてしまうのである。
その駅より足早に目的地に向かう中、未だ闇も射さない内から道端にブリーフケースを放り投げ既に出来上がっている若いサラリーマンが転がっていた。先日と同じような事件に巻き込まれなければ良いが、と願いつつその場から立ち去った。

ホールのホワイエに人が三々五々集まってくる、友人はグラス片手に顔を染めながら待っていた。馴染みあるこのホール、二階から聴くのは初めての経験だった。キャパは552席、上から覗くと六割程度の入りである、クラシックコンサートはおおよそこんなもの、よほどの大物以外満席になることはない。参考までにクラシック好きは人口の1パーセントにも満たないと言われている、それはジャズ好事家にも言えることではあるが……。
今回は工藤重典&ワルター・アウアー(オーストリア)のデュオ・リサイタル、当方の意志では無くお付き合いである。工藤氏はあの20世紀最も偉大なフルート奏者と謳われたJP.ランパルの下で学びパリで数々の賞を取った人物らしい、またアウアー氏はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者として活躍しているとプログラムで紹介されていた。
何れのアーティストも不案内だった、楽器は共にフルート奏者、それにチェンバロと幕開けはJ.C.F.バッハの”2本のフルートのためのソナタ”で始まった。静かにそして厳かにメロディが流れた、工藤・アウアーのデュエットである。双方とも身体をくねらせながら吹いていた、それを追うようにチェンバロが響く、チェンバロは殆ど聴いたことがなかったので秋の夜長に聴くにはちょうど良い機会であった。二人の息はまさにあうんの呼吸、太い音色と均一な音圧で完璧に吹き切っていて心地よい旋律でありインタープレイのようでもあった。その後に数曲あったが少しずつチェンバロの音が気になりだしてきた、聴きにくいのだ、メインの音を邪魔しない程度に弾いているのかも知れないが、音がなめらかに響かなかった。
15分のインターバル後に聴いた最初の曲が秀逸だった、アグレッシブルでテンポも良くそれはジャズに近かった、インプロヴァイゼーションよろしく知らず知らずの内に足でリズムを取っていた。
本来は”水の称賛〜フルート・ソロのための4つの小品(トーマス・ダニエル・シェリー)”を奏でるはずだったが、アウアーの友人(多分女性だと推測するが)が彼のために作曲したという楽曲に突如差し替えた。その理由をアウアーが説明してくれたのだが、ホールの一番高い席のために通訳者の声が届かず、所々しか聞こえないのである。アウアーの友人である作曲家が今年旅立ってしまったらしい、彼はレクイエムとして吹いたのだ、残念ながら曲名を分からず終いであった。
フルートから流れてくる音は、なぜかトーマス・ダニエル・シェリーのタイトルと同じように水をイメージした作品に聴こえたのだった。路面に水が弾く、濁流の中を流れる、噴水が舞い上がる、水しぶきが縦横に走る、とにかく水玉が自由自在に動いていくアヴァンギャルドな楽曲だった。作曲を依頼したアウアーと作曲家のいきさつが興味を引く話しだったので、残念なことをした。

クラシック以外でフルートと言えば、ジェレミー・スタイグやヒューバート・ロウズが好みだ。これはジャズのカテゴリーに入ってしまうが、フルートはジャズの中ではマイナーに属する、時にサックス奏者が吹くこともあるがフルート一本というはスタイグとロウズだけだ。特にスタイグの演奏は異彩である、感情をそのまま口元から出すという感じだ。彼の声が音と一緒に漏れる、この声がなんとも悩ましく官能的だ。漏れる原因は、自動車事故によるものである。それにより半身麻痺となり、顔面の左側、聴覚にも障害が出てしまった、それでもスタイグは諦めずに吹き続けた、そしてスタイグの音が生まれた。ビル・エバンスとの共演”What’s New”、これを聴けばスタイグの迫力は必ずや伝わるだろう。

会場を後にすると、鈴虫が秋の歓びを歌っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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