食のグローバリゼーション 34

時を超えて流れる隅田川の川面に、色とりどりの光の帯を漂わせる屋形船

~ 日本料理 隅田川屋形船 1 ~

「春のうららの隅田川」の歌い出しで知られる「花」は、滝廉太郎作曲の歌曲として広く知られている。穏やかなメロディーは誰もが口ずさみやすく、小学校唱歌にも取り入れられた。歌詞の中では、春の隅田川の情景とともに、櫂で水面を掻いて川を進んでいく船の様子が描写される。隅田川の川面は時の流れの影響を受けることなく同じように水が流れているのだろうが、両岸の風景は時代とともに大きく様変わりしている。

隅田川は東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、都心の北部を東の方向に流れた後、千住曙町付近で流れを南に向け東京湾に注ぎ込んでいる。総延長は23.5キロ程の短い川だが、両岸には、浅草、本所、蔵前、両国、月島、晴海などの歴史的な街並が広がる。徳川家康の江戸幕府の開府によって築城された江戸城から見ると、ほぼ真北から江戸の街の北部と東部を囲みながら流れていることになる。きっと隅田川を挟んで数多くの武家や町民が暮らし、様々な人間模様が展開したことだろう。隅田川の流域は、江戸時代の歴史と文化を凝縮したエリアと言うことができる。

その歴史は明治時代に入っても引き継がれている。国技館が蔵前から対岸の両国に移転したり、隅田川の河口にお台場海浜公園がオープンしたり、レインボーブリッジが架橋されたり、時の流れとともに川から眺める景観は大きく変化してきた。そして2012年5月には、浅草の街の袂に架かる言問橋からは真上に東京の新観光名所の東京スカイツリーが聳え立った。各々の建物は夜には幻想的にライトアップされ、昼夜でその表情を変える。

川の周辺には続々と近代的な建造物が建築されているため、和やかな旋律をもった「花」の情緒が影を細めつつあるようにも思えるが、隅田川の水の流れそのものは、きっと江戸時代から変わるものではないだろう。隅田川の川面には、今でも夥しい数の船が往来している。車や電車が発達した現代では、人の移動や荷物の輸送手段としての船の役割は軽減しているものの、川面から船の姿が消えることはない。

中でも屋形船の姿は旅情とロマンに満ち溢れる。江戸時代には、両国橋中心は屋形船で賑わったと言われるが、起源を辿ると平安時代にまで遡るようだ。宮人による舟遊びは万葉集にも詠まれている。それが江戸時代の天下泰平の世に花開き、豪商や有力大名などが隅田川に船を浮かべ盛んに遊覧をするようになった。船は次第に大型化するばかりでなく、金銀漆などで装飾し絢爛豪華なものとなっていった。

今でも毎日、屋形船が提灯の燈火を川面に揺らしながら隅田川を上り下りしている。船には座敷席と屋根が設けられ、さながら水の上を滑るレストランのようだ。ゆらゆらと揺れる船の座敷で、ゆったりと食事をしながら両岸に流れる風景を眺めていると、江戸時代から受け継がれる小粋な文化的情緒が偲ばれてくる。

現在では船宿や料理屋など、約35の屋形船事業者が各々の特徴を活かした屋形船を運航している。隅田川周辺に点在する港を出港した屋形船の大半は、2時間余りの時間をかけて、桜橋から東京湾までを周遊する。夕暮れ時にはお台場海浜公園の周辺に、数多くの屋形船が集結し、色とりどり照明が水面に映し出される。光の帯はゆらゆらと水面を漂い、江戸の粋を視覚化したアートを創作している。

春の花見シーズン、夏の花火大会、年末年始の宴会シーズンに最盛期を迎え、水面は華やかな彩りで覆われる。隅田川の川面は、これからも東京の歴史と文化を映し続ける時代の鏡となり続けることだろう。

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