アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 51

明代から清代にわたる約490年間の中国政治の表舞台

~ 中国 北京 紫禁城 3 太和殿 ~

1421年の明の成祖永楽帝から約490年にわたって、中国全土を治める政庁となった紫禁城の広大な敷地を大きく分けると、「外朝」と「内廷」の2つのエリアに分けることができる。紫禁城の南側に築かれた午門から太和門、太和殿、中和殿、保和殿に至るエリアが「外朝」と呼ばれるエリアだ。明代、清代の皇帝が、この敷地内で大典などの公式行事を行い、諸外国からの使節と謁見した場所だ。中国の政治の表舞台としての機能を果たした。

宮殿の玄関とも言える太和門を潜ると、広場の先に堂々とした姿で太和殿が聳え立つ。幅約64メートル、奥行き37メートルの宮殿が漢白玉による三層台基に乗る高さは、35メートルにも及ぶ。1420年に創建されたが、現在の建物は清代の康熙34年、1695に再建されたものだ。重檐廡殿式と呼ばれる中国伝統の宮廷建築様式で建造されている。72本にも及ぶ柱が巨大な建物を支えている。太和殿は中国に現存する木造建築の中でも最も大きな建造物だ。

この宮殿では、皇帝の即位大典、皇帝の結婚式である大婚、皇后の冊立、皇帝の誕生日の儀式、科挙の成績発表、大将の出征、毎年の春節や冬至節などの重大な国家行事が行なわれた。行事の日には太和殿の正面から天安門まで夥しい数の儀仗や楽器が並べられた。皇帝が太和殿に到着すると、午門の鐘と太鼓が一斉に打ち鳴らされ、楽隊が相次いで演奏を始める。厳かな雰囲気に包まれる中、香の煙が宮殿の内外に漂った。国家の頂点に君臨する皇帝の気高さと威厳が演出されているのだ。

イタリア映画界の巨匠、ベルナルド・ベルトルッチの作品『ラストエンペラー』での愛新覚羅溥儀の即位式のシーンが思い起こされる。大海原に譬えられる太和殿前の広場は清朝に仕える官吏たちで埋め尽くされる。中央の皇帝の道の東側には文官、西側には武官が位階を表す小さな三角錐の品級山に従い一列に並ぶ。広場に中和韶楽の荘重な響きが鳴り渡る中、皇帝が登壇すると官吏たち全員で三跪九叩頭の礼を行う。鳴賛官が振り下ろす大鞭の響きを合図に、あたかも鞭打たれたかのようにひれ伏し、地に頭を叩きつけて臣従の礼を尽くす。第二次世界大戦以降の民主主義国家で過ごす日本人には、想像することのできない別世界の舞台が展開していたわけだ。

宮殿は左右対称で、赤色の列柱に黄色の屋根が設けられている。屋根瓦として使われている黄色の琉璃瓦は皇帝にしか許されていなかったものだ。屋根の端には、龍や獅子、麒麟などの想像上の動物が施されている。丹陛と呼ばれる正殿前の平らな部分には日時計と、度量衡標準器が1基ずつ設置されている。これは、皇帝が時と単位の全てを司っていることを暗示しているのだ。

宮殿の内部は極彩色に彩られ、中央には6本の巨大な蟠龍金漆大柱と呼ばれる柱が建つ。漆で雲龍文様が施した上に金箔を覆った豪奢な金柱だ。この金柱の中心に、9頭の竜を彫り刻んだクスノキ造りの皇帝の宝座が設置されている。九竜竜椅と称される宝座は、約2メートルの高さの朱漆台の上に置かれ、宝座に座るには中央か左右の7段の階段を上らなければならない。皇帝は高座から臣下を鋭い眼差しで眺めていたのだろう。宝座の後方には竜が彫刻された金漆屏風が置かれ、皇帝の権威が印象づけられる。

視線を上に向けると、天井は精緻な彩色が施された格子状になっている。宝座の真上には蟠竜が、軒轅鏡と呼ばれる鏡を口に銜えている。この鏡は天命を受けない者が宝座に座ると、たちまち天井から落ちてその者を殺害すると伝わる。

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