クッキーの誘惑、村上開新

 

子どものころには嫌いだったものが、なぜ大人になると好きになるのだろうか?そのひとつに焼き菓子がある、それもチョコレートがまぶしてある焼き菓子が好物だ。シャルトリューズには甘さを控えた焼き菓子が似合う、コニャックなら甘い焼き菓子だろうか……。しかしあれほど嫌いで殆ど手を付けなかったものが好きになるとは予想だにしなかった。

“食後の3C”と言う言葉がある、レストランで食事を済ませた後の言葉だ。ひとつはシガー、二つ目はチョコレート(最近はコーヒーという御仁もいるが)、そして最後がコニャック、多分これは男側の言い分であって世の女性は顔をしかめるだろう。食事をし、さっさと帰り支度では色気が無い、故に食後の余韻を少しでも楽しむためにヨーロッパの紳士諸氏がこじつけ作ったのだと推測する。
そのチョコレート、ある時は万能薬として、時に貨幣、スパイス、媚薬、そして最高の美味として、古代アステカ王国より今日まで、時代を彩りながら世界中の人々を惹き付けてきた、小さな一粒には、奥深い歴史と物語が秘められている。
小さな一粒カカオ、その歴史に秘められた内容は後日書くとして、件の焼き菓子についてすこしだけ触れてみたい。そもそも焼き菓子とはビスケットとクッキーを指す、どこがどう違うのか調べるまで分からなかった。

日本では、水分やバターなどが少ないものをビスケット、水分やバターが多くマカロンやパイ生地のものなどをクッキーと呼ぶ傾向にあるとか。
因みにビスケットの本場イギリスでは、ベーキングパウダーやイーストを使ってふくらませたものをクッキーと言うらしい、どうやら国によって様々な解釈があるようだ。
その焼き菓子にはまったのが10年ほど前になるだろうか、知人が当方の誕生日にと送って戴いたものだった。
家人は即座に口にし、満面の笑みを浮かべていたが、元々好きでない焼き菓子に有り難いと思いつつも手を付けなかったのである。そんなある日、疲れていたのか甘いものがどうしても食べたくなり、そのクッキーを一枚ではなく、欠片を口に入れた。その時、子どもの頃に食べた記憶を呼び覚ましたのだった、まるでプルーストの”失われた時を求めて”の物語のようで嘘くさく聞こえるかも知れないが真実である。口に入れたときの食感、生地の弾力、香りなどがいわゆる高級菓子店で売られているクッキーとは大違いなのだ。

かなり昔の事だがこの味だけは忘れていなかったようだ、そのクッキー”村上開新堂”と銘打ってある。
子どもの頃だから何処のクッキーかなんて興味も無いし、名前も知らなかった。唯一覚えているのは母親がこの店をとても気に入っていて、時折買っていたことだけは忘れていなかった。
イギリス大使館前にある村上開新堂、ウェブには明治初年(1868年)、村上光保が、国家政策の一環として洋菓子製造技術習得を命じられたことが、村上開新堂の歴史のはじまりと書いてあった。
いろいろ調べてみると、一見さんは買えない、誰かの紹介がなければ買えないらしい。と言うことは、知人は誰かを介して購入したということになる、大変な思いをさせてしまったと後悔しきりである、なぜなら友人は一切甘いものが苦手なのだ。尚、紹介がなければ云々は傲慢に聞こえるが、実は手作りのため1日の生産量が限られておりこのようなシステムにしているのだそうだ。

147年の歴史は伊達ではなかった、クッキーと言えども侮るなかれ、食してみる一見の価値でなく一食の価値ありである。

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