新しき賢者たちのアール・デコ

ここにサイドテーブル一脚がある、テーブルスタンドとして使用している。このサイドテーブルは東京を離れようと決心したとき、広尾にあった友人のインテリアショップで購入したものだった。但し、店頭に置かれていたものではなくフランスで買った家具である。その友人は年に一度、イギリスとフランスへアンティーク家具や小物などを買い出しに行く、そのついでにお願いをした。彼の店でネット検索し、サイドテーブルに当たりを付け要望に合いそうな家具を探したのだった。
離京記念としてアール・デコのサイドテーブルがどうしても欲しかった、それも突き板には桑の板が施してあるもの、と限定したから大変であったと思う。突き板、それは希少性の高い木目を持つ木材を薄くスライスしたものを言う。材の色は暗黄褐色であるが経年変化とともに飴色に変化し、木目は不規則に渦を巻く雲海のようでありペーズリーのようでもあった。
こちらの要求に応える品物は時間を要し、それが見つかるまでに一年も掛かってしまった。東京を離れるという計画もあったため、100キロ圏内の住まいをあちこち毎週見て回った。その探し回っている間に、こちらの環境が好転したことで幸いにも引っ越しをする必要が無くなり、なんとか気持ちも萎えることなく今まで通りの生活に舞い戻った形となった、あれから30年が経つ。

アール・デコ(デコラティフ/装飾芸術の短縮形)、この名称は1925年展に由来している。第一次大戦から1930年にかけて発展した芸術様式で、直線や円弧を組み合わせた幾何学模様が多用されている。その源泉は、アール・ヌーボーの禁欲的な面、キュビズム、ロシア・バレエ、ネイティブ・アメリカン、さらにバウハウスまで多様な影響が見て取れる。アール・デコは伝統の中にある優雅なものへの考慮という点で最後の文化であったかも知れない。形態のシンプルさ、仕上げの精緻さ、曲線の微妙さにおいては、優れていると言っても良いのではないだろうか。
文化を担う階級の入れ替えが行われつつあったその時代に、それまでなにびとも手を出せずにいた”文化”のイメージを”新しき賢者たち”が焼き付けた。
アール・デコの三十年代をモダニズムと呼ぶ論者もいるが、伝統の中にある優雅なものへの考察という点で最後の文化でであったかもしれない。またエミール=ジャック・リュールマンやポール・イリブなどの家具製作者(エベニスト/高級家具を専門とした職人)たちは、それまで手本とした18世紀の家具よりも曲線の微妙さ、仕上げの細やかさ、形態のシンプルさに於いては優れていると言っても過言ではない。リュールマンは大量生産には一切関心を持たず、コストを無視した彼の作品は廃れることなく、常に人々の関心を惹き続けていた。

アール・デコがアール・ヌーボーの装飾性を母胎としても、その装飾性のデザインはアンチ芸術性の領域で果敢に発展を遂げていった。それはいつしか生活と文化のインタープレイへと繋がり、芸術の文脈を越え人間の欲望さえも打ち消すほどにアール・デコは饒舌に時代を反映し続けていったのだろう。

80数年前に、無名のエベニストによって作られたであろうサイドテーブルが陋屋に鎮座する、その構造は単純且つ流麗さを保ち続けている、いつまでも歴史を紡いで言って欲しいと願うばかりだ。

 

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