食のグローバリゼーション 39

アンデルセンが愛した遠洋航海の船乗り達の居酒屋街

~ デンマーク コペンハーゲン ニューハウン ~

デンマークの首都はコペンハーゲンであることは広く知られているが、その位置を正確に把握している人は比較的珍しいのではないだろうか。コペンハーゲンは、バルト海に浮かぶシェラン島の東海岸に位置している。エーレスンド海峡の先には、スカンジナビア半島が広がり、数キロの海面を隔ててスウェーデンと接している。かつてエーレスンド海峡は冬季に凍結することもあり、その場合にはコペンハーゲンから徒歩でスウェーデンの国土に入ることができた。

デンマークは、ユトランド半島と、バルト海や北海の443の島から成り立っている。ヨーロッパ大陸に国土をもちながら、首都がスカンジナビア半島に近接する島にあるのだ。少し意外な気がするが、バルト海や北海に浮かぶ島々が、大陸部よりも早く発展したことを物語っているのだろう。

コペンハーゲンは古くは小さな漁村にすぎなかった。ところが良質の港湾施設は、12世紀にアブサロン司教によって重要な商業施設に整備された。1167年には、クリスチャンボー城が建造され、北ヨーロッパでは最大級の都市へと発展を遂げた。17世紀に入ると、「建築王」の異名をもつクリスチャン4世によって、街はオランダ・ルネサンス様式の街並が整えられた。

海に面するコペンハーゲンには、アムステルダムと見間違えるような運河が、街中に網の目のように張り巡らされた。北ヨーロッパの経済的な中心都市となり、運河を使って膨大な貨物が輸送されるようになった。運河のあちこちに船着き場が設けられ、港の周辺には特徴のある街並が形成された。

「王様の新広場」を意味する市街地中央のコンゲンス・ニュートーゥ広場にも、運河が迫っている。30メートルから40メートルの幅で400メートルにわたって、穏やかな名水面を湛える北側の岸は、ニューハウンと呼ばれるようになった。日本語に訳すと「新しい港」となる。1671年から運河の掘削工事が始められ、1673年には船の往来が可能となった。コペンハーゲン市街地の心臓部を貫く重要な運河だ。運河を行き交う船で運ばれた貨物が両岸に陸揚げされ、大量の商品を取り扱う商人の活気が漲るようになった。

遠洋航海を終えた船乗りたちも、ニューハウンの港から丘にあがり、久し振りに揺れることのない大地を踏みしめた。この船員たちの長い船旅の疲れを癒すための施設が続々と建設されるようになった。一体に数多くの飲食店が開店し、運河の北側のエリアは居酒屋街へと様変わりした。四方八方の大海原からコペンハーゲンに戻った船乗りたちは、港の飲食店で様々な思いを語り合った。きっと運河の周辺には船乗り達の威勢のよい声がこだましたことだろう。

今でもニューハウンには運河に沿って、カラフルな彩りの木造建物によるレストランが軒を連ねている。夏の時期には路上にもテーブル席が設置され、運河を吹き抜ける爽やかな風を感じながら食事を楽しむことができ、コペンハーゲンや観光客の憩いの場となっている。客層は時代の流れとともに変貌を遂げながらも、街の賑わいは変わらない。

デンマークを代表する童話作家のアンデルセンも、ニューハウンをこよなく愛した。このエリアの中で3度も住居を移しながら18年間にわたって住み続け、数多くの名作を創作し続けた。レストラン街の一画には、アンデルセンが暮らした住居が今でも大切に保存されており、彼の名前と略歴を刻んだ石のパネルが壁には嵌め込まれている。ニューハウンは、コペンハーゲンの商業発展の歴史と文化が凝縮したエリアだ。

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る