骨董通り今昔

青山の骨董通りの変わりようには驚いた。青山通りから骨董通りに入るなり建物が一変する、その昔曲がり角に給油所があり、その隣には嶋田洋書店があった。学生の頃はよくここに出入りして、自動車、航空、デザイン、美術、写真、インテリア、建築、造園、服飾、料理etcのヴィジュアル洋書がごまんとあり、冷やかし半分では読み切れないほどに洋書が棚一杯並んでいた。
現在は骨董通りを離れ、もう少し南へ行ったところに店を構えた、転居後は一度も訪れてない。いつも財布の中身は空っ穴で、手に入れたい書物は指を咥えて眺める他なく、ようやく買えたのは卒業間近の頃だったと記憶している。それはエゴン・シーレの画集で、書棚の奥で埃を被り眠っている。
今では、近くに青山ブックセンターやワタリウムなどが登場し洋書も身近に手に入るようになった。少し足を伸ばせば明治から創業の山陽堂書店があるが、こちらが望むものは残念ながらなかった。というか、当時青山には書店らしきものが少なく骨董屋がひしめいていた。
子どもの時から器が好きで、中でも古伊万里が好みだ。学校さぼって磁器探訪に夢中になっていた時期に、嶋田洋書の斜め前ぐらいにある骨董店に初めて入った。その店に入った瞬間から”招かざれる客”の応対であることがありありと見えたのだった、小僧などに器の価値が分かるかと言わんばかりの態度、この店には厭な思い出しかない。いまや器の鑑定士として名を馳せている某氏、客に若いも年寄りもないのだ、通りに面したそれ以外の骨董店は、丁寧に迎え入れてくれた。
白州正子が骨董について触れている、「眺めていれば、骨董という物はその姿の中に”もののあはれ”を映し出す。そこに不完全の美や人間を重ね合わせることができる物の見方を、人間はこれまでしてきたのだ。つまり、骨董を見ることは、自分を豊にすることなのだ」と。寛容な心が無ければ豊かさは生まれない、この言葉を読み、胸のすく思いであった。

骨董通りをさらに進むと和菓子の菊屋がある、ここは向田邦子お気に入りの店。この店の菓子が「眠る盃」に登場する、人気菓子の水羊羹を評し”自分は水羊羹評論家がふさわしい”と書いていたが、確か普通の羊羹も好きではなかったか、それも端っこの固いところが。これも”眠る盃”に書いてあったと思う。そこだけ向田邦子と同じだ、最近は端っこが固い羊羹にお目に掛かることがない。あのカリカリという食感がたまらなく良いのだ、いまでは甘さ控えめが定番となり時代と共に消えていったのかも知れない。その菊屋で何度か買ったことがあるが、どうもこちらの味覚とは縁遠いものがあった。その斜め前ぐらいに小原流会館がある、ここは全く無縁の建物だが、眺めるとどこか懐かしく思えるから不思議である。

骨董通りで一番目を引く物は、やはり根津美術館だ、以前の建物がどんなものであったかすっかり忘れてしまっている。既に昔の面影はないが、骨董通りに面したところに古びた門構えがあった(隣にコシノ姉妹何れかのショップ)、そこは手入れも行き届かず草木が生い茂り誰も立ち入れない雰囲気で、一度で良いからここから入ってみたいものだと思ったことがあった。根津美術館は数年前に建築家の隈研吾の設計により改築され、建物全体に和風家屋を想起させる、一番はエントランスの竹林が見事なことだ、新館になってからの美術館には未だ訪れていない。
器好きが高じて、根津美術館へ通った、ここには陶磁器のコレクションが常設してあり、中国の陶磁や南北朝~江戸時代のものまでが陳列されている。ここで眺めていると、その時代に生きた陶工たちの声が聞こえてくるような錯覚を一瞬だが覚えりもした。
骨董通りという名称も、いまや名ばかりで、それに見合う骨董店はビルの中へと姿を消してしまった。向田邦子は何を思うだろうか……菊屋があるから問題ないわと言うだろうか。

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