食のグローバリゼーション 43

秋刀魚は目黒に限る

~ 日本料理 秋刀魚の塩焼き ~

天高く馬肥ゆる秋には、様々な季節の食材が満ち溢れる。野菜に加えて、果物や魚介類の種類が豊富となり、毎日の食卓にも季節感が漂う。中でも秋に旬を迎える魚の代表格と言えるのが秋刀魚だ。サイズも値段も手ごろな大衆魚だ。

夏の暑い時期にオホーツク海や北海道の東方沖で成長した秋刀魚は、9月頃から親潮に乗って南下を始める。例年9月から11月の時期には、根室市の花咲港をはじめ、気仙沼、女川、大船渡などの漁港では、大量の秋刀魚が水揚げされる。約30センチの体長に育った秋刀魚には、脂肪の量が約20パーセントになると言われている。晩秋になると産卵の準備を始め、脂肪の量が次第に減少し肉質も変化する。そのため、秋の季節を逃すと美味しい秋刀魚は食べられないことになる。

秋刀魚の料理として最も一般的なのが塩焼きだ。極めてシンプルな調理方法だが、素材の旨味だけを味わうことができる。強火で焼くと表面に脂が滲み出し、ジュージューという音を響かせながら、香ばしい煙をたなびかせる。両面に少し焦げ目がついたところが食べ頃となる。しっかりと脂ののった身は、柔らかく食べやすい。カボスや、スダチ、ユズ、レモン、ライムなどの搾り汁やポン酢、醤油などに、大根おろしを添えて味わう。身だけではなく、苦味のある腸も残さず食べたいものだ。

秋刀魚は味覚だけではなく、栄養の面でも極めて優れた食材だ。良質なタンパク質の他に、多価飽和脂肪酸が豊富に含まれている。ドコサヘキサエン酸DHAには脳に働き学習能力を高める効果、エイコサペンタエン酸EPAには血液の流れを良くし血栓を防止する効果があると言われている。夏の暑さで疲れた体を活性化してくれる健康食材なのだ。

老若男女を問わず、秋の時期に秋刀魚を一度も口にしない日本人は、まずいないのではないだろうか。ところが、江戸時代には秋だけではなく一生の間、秋刀魚の味覚を体験することができない不幸な人物がいたようだ。豊かな経済力をもち欲しいものは何でも手に入れることができた身分の高い人は、秋刀魚を口にすることなどできなかった。秋刀魚は下種な食材と見なされていたのだ。

古典落語の中に『目黒の秋刀魚』という噺がある。庶民の生活を知りえない殿様の滑稽な姿が物語られる。初秋のある日に、武家の殿様が家来とともに、目黒不動参詣がてらの遠乗りに出かける。田園風景の広がる目黒に着いたのは、昼の食事時のことだった。昼食の支度をする近くの農家から、秋刀魚を焼く匂いが漂い殿様の鼻に届いた。殿様は初めて嗅ぐ匂いに魅かれ、秋刀魚を食べたくなった。お供の家来は煙の元を辿り、百姓から焼いたばかりの秋刀魚を譲り受けた。

殿様は、産まれて初めて味わう秋刀魚の味にすっかりと魅了され、忘れることができない味となった。屋敷に戻っても、秋刀魚を食べたくて仕方がなくなる。そんな折に親戚の家に出掛ける機会が訪れた。そこで食べたい物を聞かれた殿様は、迷うことなく即座に秋刀魚を所望した。下種な魚の名前を聞いた親戚は戸惑いながらも、秋刀魚を買い求めて来る。食材を手に入れても庶民と同じように焦げ目の入った焼き魚を出すわけにはいかない。秋刀魚を蒸して、丁寧に脂を抜き、骨を抜き、お吸い物として殿様に差し出した。

秋刀魚のエキスが全て取り除かれた出がらしだ。殿様が夢にまで見た秋刀魚とは、見栄えも味もまるっきり違う。「この秋刀魚、いずれよりとりよせたのじゃ?」、「日本橋魚河岸にござります。」、「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる。」の落ちで、『目黒の秋刀魚』の噺は終わる。

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