アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 55

宮殿から一歩も外に出ることのない皇帝のための唯一の安らぎの公園

~ 中国 北京 紫禁城 7 御花園 ~

紫禁城の最も南にある正面玄関の午門から宮殿に入り、外朝、内廷のエリアを北に向かって歩くと、中国の伝統様式に基づく崇高な建造物が建ち並ぶ。各々の建造物は統一感をもった設計となっており、皇帝の権力の神々しさを感じさせてくれる。荘厳な建物からは、威圧感が放たれているようにも感じられる。石と木による人工の建築物が並ぶ空間には、自然の緑を見かけることはできない。国政を担う宮殿には自然美など不要と言えなくもないが、皇帝は一日中、紫禁城の中で生活をするのだ。皇帝は政務中は勿論、私生活の場面も常に家臣たちの眼に晒されているのだ。息抜きの場は必要不可欠であるはずだ。

内廷の最北端に建つ坤寧宮の奥に漸く寛ぎの空間が広がる。御花園と呼ばれる公園だ。1420年、永楽18年の造園当初は官后苑と呼ばれていた。東西130メートル、南北91メートルにわたって広がる広大な庭園だ。園内には小石の道が張り巡らされ、そこには大きさや色彩の異なる石やレンガ、瓦を組み合わせた720余りの絵が描かれている。『三国志』の中の物語が数多く図案化され、歴代の皇帝は古代の伝説に思いを馳せながら、公園の中を散策したのだろう。

園内には中国の全国各地から運ばれた石が築山を構成し、造形的な石のオブジェが築かれている。各々の築山は個性的にデザインされ、一つ一つの築山を眺めていると様々な想像力が掻き立てられてくる。石畳の道や築山の隙間は、ボタンや菊などの花の色、草木の緑が自然の色彩が空間を埋める。古くからの伝説にまつわる松や柏の木々が育ち、中には樹齢数百年にも及ぶ古木まである。これらの木々は、夫婦の強い絆を象徴するものとされている。石の白色と植物の彩りが、穏やかな色彩のコントラストを見せてくれる。人の手によって作られた自然ではありながらも、風景を楽しみながら充分に目の保養をすることができる。

様々な植物が育ち石の造形が並ぶ自然公園の中にも、20を超える建物が点在している。でも御花園の建物は外朝、内廷に建つ建造物とは大きく異なり小ぢんまりとしたもので、皇帝の心と身体を癒す休息の場となった。

中央には1535年に明朝第12代皇帝の嘉靖帝が、道教の天帝である玄天上帝を祀るために、欽安殿を建造した。紫禁城を南北に貫く中軸線上の位置だ。玄天上帝は水の神と伝わり、宮殿の火災防止を祈願していた。そのせいか一度も火災に見舞われることがなく、紫禁城では唯一の明朝時代の建築物だ。黄色の瑠璃瓦による屋根が特徴的な外観を築き上げている。毎年旧暦の7月7日には牽牛星と織女星の祭りの他、立春、立夏、立秋、立冬には、皇帝や皇后、妃がここを訪れ記念の行事を行ったと言う。

公園の西の端には、築山に囲まれ2階建ての奥ゆかしい姿の桜閣、養性斎が建っている。現在残る朱色の建物は、1815年、嘉慶20年に改修されたものだが、清の第7代皇帝の嘉慶帝、第8代皇帝の道光帝は、ここで読書に耽ったと伝わる。また、清朝滅亡後の1919年には溥儀の英文教師として、イギリス人のレジナルド・ジョンストンがここに招かれた。清朝最後の皇帝溥儀は1924年まで、養性斎でジョンストンから英語を学んだ。

明代、清代の歴代の皇帝は内廷から御花園に足を踏み入れ、一時的に政務から離れ一人の人間として教養を身につけたり、安らぎを求めたりしていたのだ。自然の色彩に恵まれた空間には、宮中とは異なる時間が流れていたことだろう。石畳の道では皇帝と皇后がゆっくりと歩く姿が偲ばれる。

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