ブリコラージュの創造性

モノの価値は時間で消費され、減価償却という形で消えていく存在。その一方、芸術品は時代に左右されず価値は無限に拡がり、消費者の欲望を駆り立てていく。
芸術家の手による作品と、芸術家とは呼べない人物が日々作り上げるマテリアルとの区別は一体どこで明らかになるのだろうか。
丹念に作られた一脚の椅子、時として作品とも呼べるクオリティを持ち得、その反対に芸術作品の中には作品とも呼ぶに足らない無価値なものもあったりする。それは作品に潜む、創造性の欠如というものが起因しているからなのかも知れない。
ネーティブアメリカンたちがつくる羽根飾りの冠、ペルーアンデスの異形織物、ニューギニア高地人のつくる仮面等々それらは決して作品行為では無い。それはシャーマニズムや精霊憑依の宗教・気候……そして自然界からの様々なものに影響され民族的に結晶されたものがコラージュだ。

 

フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱したブリ=コラージュというものがある。
ブリコラージュ、あり合わせの道具や材料を充分に活かして自分の手で物を創ること、つまり手仕事である。このブリコラージュ、クロード・レヴィ=ストロースが著した「野生の思考」によって打ち出されたものだが、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し「ブリコラージュ」と呼んだ。DIY(ドゥー・イット・ユアセルフ)の意味でも使われたブリコラージュ、時代にふさわしい技術のあり方、知のあり方でもある。

ブリコラージュとは、人間の知恵から産み出された作品であり、いわゆる工業技術とは全く異なっているものなのだ。件のDIYの視点から言えば、道具と材料を使って出来る範囲には限界があるが、人間の知的好奇心をさらに広げ道具を自由自在に組み合わせることによって創造的な作品が生まれるはずである。それはいつしか技術を越えたものとして、アートとして意味づけられるものになるだろう。それはロマンであり、光りである。
人間はいつの時代に於いても、日常生活の中にロマンを取り入れようと探し求める。そのために人は文化を発展させ続け、文明を創り出し、いつの時代にも不可視なものを求め続けている。それは、光りのない暗闇の恐ろしさを知って生まれてきたからであろう。
人は自らが創造した文化を認識した上で、よりシンプルに、ブリミティブに、そしてナチュラルに、自らの身体性を研ぎ澄ませていくことが大切なのかもしれない。

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る