テオ・アンゲロプロス、永遠なれ

嬉しいニュースが飛び込んできた、ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロス監督の遺作「エレニの帰郷」が2014年1月に日本で公開されることが決まった。2008年に製作された本作は、2009年に第59回ベルリン国際映画祭で上映された後、日本公開は封を切らず4年の歳月が流れていた。その理由は判然としないが、アンゲロプロス監督が急逝してから2年目を迎えた配給元の東映は、追悼の意を込め公開にこぎつけたと言う。
「エレニの帰郷」、家族を失ってゆく主人公の半生とともに、ギリシャの困難な現代史を神話的に描く壮大な愛の叙事詩だ。05年に公開された「エレニの旅」は20世紀を題材に描いた三部作の一作目だった、エレニの帰郷は二部作となる、そして三部作目の「THE OTHER SEA(もう一つの海)」は夢半ばで消えてしまった。昨年、「もう一つの海」撮影中にアテネ郊外のトンネル内でオートバイにはねられて頭を強打し、病院に搬送されたが76歳で旅立ってしまった。
彼の作品は常にセンセーショナルで魅力的だ、映像美もさることながら音楽に心が揺り動かされる。エレニの帰郷の予告編を観たがどことなく「永遠と一日」と音楽が被る、テオ・アンゲロプロス監督は「永遠と一日」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞、彼の名を一躍有名にしたのは「旅芸人の記録」だろうか。
アンゲロフロス監督と言えば「永遠と一日」、いまでも何かある度、あの言葉を思い浮かべ自分を鼓舞するのだ。
闇が訪れた
沈黙……
沈黙が私を包んだ
突然の雲の切れ目を背景に、淡い船の影が現れ
暮れの水辺を恋人たちが散策しても春は約束を守らない
冬の終わりまでだとすべてが言う
君はわかるよね
私は何一つ完成していない
あれもこれも下書き
言葉を散らかしただけだ、明日の時の長さは?
「永遠と一日」

亡くなったテオ・アンゲロプロスについて、夫人であり製作も手がけて来たフィービー・エコノモプロスが真相を語っている。
マルチェロ・マストロヤンニが元々は「蜂の旅人」と「こうのとり、たちずさんで」に出ている間にギリシャ語をほぼマスターしてしまったことが前提にあって書かれた「永遠と一日」、しかしマストロヤンニに末期がんが見つかり、出演が出来なくなってしまったらしい。永遠の一日の主役であるブルーノ・ガンツはギリシャ語が出来ず、その声は吹き替え、ところが主人公の詩人の述懐がナレーションとして重要な意味を持つ映画なので、なんとかマストロヤンニというのもあったことはあったらしい。
そんな中、テオ・アンゲロプロスはこの映画が好きでなかったとか、信じられない!フィービ夫人が言うには、「あまりに私的な映画過ぎたから、気に入らなかったのではないか」だという。ヒロインが妻である彼女にそっくりであることも、この映画が私的な作品であることを強く示唆している。夫人はアンゲロプロスの未完の遺作となった「もうひとつの海」と、その撮影中の彼自身の死のことも語っている。
「ワンシーンだけ、典型的なアンゲロプロスと言っていい、曇天の屋外の長廻しのシーンがあったわ。しかしそれは、テオが亡くなった直後、機材を返却する際に助手が誤って消去してしまったの。”リハーサルだと思っていた”らしいわ。これが残っていれば、まだ公表しても意味があったと思うのだけれど」
それが問題の、アンゲロプロスが非業の死を遂げた撮影でもあったのだ。報道されたのは、撮影現場に向かうため道路を渡っていた際にオートバイに刎ねられたということだけ。実は、これは6車線の高速道路を挟んだシーンだった。
一方にはクレーンに載せたカメラがあり、道路の反対側に俳優たちがいて演技をする。監督がいるのは基本、カメラがある側だが、演出指示を出すために頻繁に往復していた、その度に高速道路を徒歩で渡っていた。
「もちろん一人では危険だから、若いスタッフが誰か必ず付き添うことにしていた」
なにしろアンゲロプロス自身が、道路を通行止めにしたりはせず、本物の交通を利用してそのひっきりなしに車がリアルに行き交う道路越しに撮影することを望んだのだというのだから、これはもう止むを得ない。
事故が起きたのは、インターンの若者が付き添った時だったとか。若者の方が途中で転んでしまい、先に歩いていたアンゲロプロスはそれに気づいて立ち止まったのだと。高速道路と言えども、前に人が立っているのを見れば避けることは出来る。みだりに慌てずに立ち止まるのは普通なら、正しい判断だ。
ところが日没の前後のことであり、しかもオートバイを運転していた非番の警官は、どうも道路脇に置かれた撮影用のクレーンに気をとられてしまっていたらしい。取り調べの証言では、記憶は定かではなかった。
妻であり、長いあいだ彼の映画のプロデューサーも努めて来たフィービー・エコノモプロスが、今悔やんでも悔やみ切れないのは、その時彼女が撮影現場にはいなかったこと。
到着したのは、事故の20分後のことだったと。

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