アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 56

園内に点在する石のオブジェに色彩のアクセントを加える季節の花々

~ 中国 北京 紫禁城 8 堆秀山・千秋亭 ~

日本でも明治時代以前に築かれた武家の屋敷や城郭、神社や寺院には必ずと言っていい程、和式の庭園が造られている。面積の広さはともかくとして、一定の領地を統治する領主であれば、勝手気儘に自然の風景を眺めるために外出することはままならなかったのだろう。景勝地の風景を切り取ってそのまま屋敷に持ち帰ることはできない。となれば屋敷の一画に自然の風景の縮小版を人の手で作らざるをえないわけだ。その庭園の面積は、統治する領土や住む屋敷の大きさに比例する。

広大の領土を領有した中国の歴代皇帝は、紫禁城で私生活を送りながら政務を行った。広大な国土と膨大な人口を抱えた中国を治めるためには、皇帝一人の力では不可能で、数多くの役人と組織が必要となる。自ずと宮殿の規模は巨大になり、敷地の端から端まで移動するだけでも相当の時間を要することになる。政務の間隙の時間を見つけたところで、宮殿から外出して、自然の風景をのんびりと眺めるというようなことができるはずもない。

そんな皇帝の安らぎの場が、紫禁城の北の端に設けられた御花園だ。広大な宮殿の敷地面積からすれば猫の額程の広さだが、広々として解放感をもった公園となっている。園内には多種類の植物が植栽されているのは、和式の庭園と共通する点と言える。ところが紫禁城の庭園が和式の庭園と際立って違うのは、石が多用されていることではないだろうか。

園内を巡る道には小石が敷き詰められているばかりでなく、いたる所に石を積み上げた築山が点在している。和式庭園であれば土の道を歩きながら、盛り土によって築かれた山を鑑賞するということになるだろう。建造物も木造によるものが多く、大陸と比べると日本では石材が多用されることはなかったようだ。

紫禁城の御花園では園内にいればどこからでも、白色の石によるオブジェが目に入る。その中でも最も目を引くのが堆秀山だ。御花園の中央に建造された道教の天帝を祀る欽安殿のすぐ北に位置する。太湖石を幾重にも積み重ねて築かれた山の頂上には、御景亭と呼ばれる建物まで建っている。

この山からは紫禁城の宮殿内はもとより、北京市の西の郊外にある西山をも望むことができる。毎年旧暦の9月9日の重陽節には皇帝は皇后を伴って、堆秀山に登高した。中国では縁起がいいとされる数字の9が重なる日に、菊の花びらを酒に浮かべて飲みながら詩を詠み、長寿を祈願したと言われる。山を取り囲むように咲く菊の花を眺めながら、夜には中秋の名月を楽しむことができたのかもしれない。

堆秀山から欽安殿をかすめ、南西の方向に目をやると、紫禁城の中では珍しい建物が視界に入る。千秋亭は紅色の壁と柱をもちながら、黄色くて円形の屋根を頭に抱いている。紫禁城に建つ建造物は直方体の形をしており、屋根の傾斜を除けば輪郭に曲線が採用されている建築を見かけることはない。明代の第12代皇帝、嘉靖帝時代の1536年に建造された千秋亭は、紫禁城内では最も美しい建物と賞されている。自然の緑に包まれ中に柔らかな曲線を描き、優美で落ち着いた風情を漂わせている。建造物と植物の色彩が調和のとれたハーモニーを奏で、初夏になるとボタンの花が、赤色や白色の彩りにさらなるアクセントを加える。

明代から清代にわたる中国の歴代皇帝は、政務の合間に御花園に足を運び日頃の疲れを癒したに違いない。御花園は紫禁城の北の端に造園されている。この花園からさらに北に歩を進めると紫禁城の北門、神武門が砦のような姿で聳えている。

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