友人が持参した、アルベール・カミュ曰く付きのワイン

味覚の秋到来の季節となったが、依然として日本列島に猛威を振るう台風の影響は大きく、味覚の秋と呼ぶにはまだ早い感じがしないでもない。一方、フランスでは「ワインの秋」と呼ばれているそうだ。ワインの収穫が9月から始まり、県ごとにワイン祭が行われ収穫を祝う。またアングロ・サクソン系諸国ではお馴染みの風景、仮装し祝うハロウィンが10月末から始まる。いつの間にか日本は「形」だけのハロウィンが流行している……祝うのはめでたいことだが、はてそのセレモニーの意味を知っているだろうか。
さてそのワイン、フランス人とイギリス人はワインを飲むタイミングが正反対だという、イギリス人は熟成の頂点を過ぎて天国から迎えにきた天使の羽音が聞こえるワインを好み、フランス人は20年、30年寝かせると神の飲み物に変身する超高級ワインを好むのだという。尤もイギリスとフランスは昔から何かにつけて難癖をつけるお国柄、さぞかしワインを飲むことさえ互いに一言あるわけだ、なんともクセのある国民だろうか。

数年前より拙宅にワインとスパークリングワイン、時にシャンパンを持ってきてくれる友人がいる。それも二週間に一度は訪れ、その飲み物にふさわしいおかずも持参してくれるのだ。キッチンには数え切れないほどのあらゆる銘柄のコルクが山のように積み上がっている。
その友人がフルーリー レ・モリエールを持って来てくれた、このワイン、かの「異邦人」「ペスト」の作者アルベール・カミュが事故死する直前に飲んだと言われるワインらしいのだ。ガメイ品種は渋いイメージがあったが、フルーティーで、イチゴ、ラズベリーのような香り高い味わいであった。ワインが原因でカミュが亡くなった訳ではないと思うが、少しだけ気味が悪い曰く付きのワインである。事実、こうして書いているわけだから我が身に命の別状はなかった。
友人との出会いは小学校入学前からだから、かれこれ半世紀近い付き合いになる。これまでワインは三ヶ月に一度、シャンパンときたら数年に一度飲めれば良い方だった。我が家は一変した、キッチンには飲みかけのワインが数ボトル並んでいる、もちろん炭酸の放出を抑えるためボトル内の空気を保存ポンプで加圧し、ワインセーバーの栓で閉めるのだ。この道具もまた彼の仕業、憎いほど段取りが良いのである。いつしか我が家はワインバーを開けるほどコルクがたまった。
どのワインが旨いか即答はできないが、ひとつだけ独特の風味と味を持ったワインがある、cotes du juraの白ワイン、あのジュラ紀で有名な産地である。香りはサフランを想起させ、鉱物の匂いもどことなく感じられる。またワインと言うよりスコッチをイメージしてくるような味わいでもある。
これだけ呑んでもワイン通にはなれないが、彼の施しには頭が下がる思いで一杯である。

ワインには数々の歴史、文学、芸術の逸話があるが、友人はアルベール・カミュが飲んだと言われるフルーリー レ・モリエールのエピソードを滔々と語り始めた。カミュは不条理の作家として衝撃的な文壇デビューを飾り、ノーベル賞まで受賞した希代な作家である。
1913年、アルジェリアのボーヌという名のぶどう園でカミュは生まれた。これもまた甚だ因縁めいたものが、生まれつきカミュにはぶどうが付いて回るようだ。カミュが生まれたボーヌ、太陽の光りが燦々と降り注ぐ暑い土地柄であったらしく、大衆ワインがメインの生産地だったという。そのようなこともあり、カミュは安価なボジョレーをいたく好んだとか。

ノーベル文学賞を受賞したのが43歳、戦後では最年少の受賞だったらしい。その3年後、ノーベル賞で大枚をもらったカミュは南仏に家を購入、だがその甲斐もなく車でパリへ向かう最中に交通事故に遭ってしまう。場所はブルゴーニュ地方のサンスの郊外、同乗していたのは編集者だったという。
その死の直前サンスの郊外のレストランで飲んだワインがフルーリー レ・モリエール、それもカミュ直々に指定したワインだったという。イチゴ、ラズベリーの香りがするフルーティーな味わいであったが、カミュの舌にはピッタリ合っていたのだろう。どうもこのワイン、ワイン通やプロの間ではお墨付きであるらしく、なかなか素人には手に入らないようだ。そのワインを友人はどのようにして入手したのかとても気になる、しかしそれを聞くには勇気も要るし、折角の好意が仇となってしまうので詮索しないことにした。どうも生来の貧乏性故、なにごとも訊かないと気が済まない性分、がまんがまんということだ。
カミュがフルーリー レ・モリエールと共に胃袋に入れたメニューは血の腸詰めソーセージだったとか、なんとも生々しい話ではないか。

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