歴史と美術の狭間で生きる、絵画修復家という仕事

いつだったかスペインの教会で、初老の女性画家が修復という名の下に元の絵の上から全て描き加えてしまった珍事は記憶に新しい。

それは瞬く間に世界に飛び火し、町おこしに貢献したというのだからなんとも珍妙な話で、それをメディアが取り上げ上手いか下手かの論争まで繰り広げられた。

町は有名になっても、元の絵は取り返しの付かないサクヒンになってしまった。

他方、11年の歳月をかけフランスのノルマンディにある礼拝堂を修復再建した「林檎の礼拝堂」がある。

修復したのは日本人の田窪恭治氏、500年前に建てられたサン・ヴィゴール・ド・ミュー教会は隣村との統合後、100年以上も使用されることなく見捨てられた状態だったという、田窪氏はその歴史ある建物を無償で修復としたというのだから頭が下がる思いだ。

いずれも修復という技には変わりないが、仮にスペインの宗教絵画が歴史的価値のある作品であったらどうなっていたのであろう。

彼女も画家としての使命を果たすため(実のところは分からない)懸命に修復したのだと思うが、一歩間違えると手の施しようのない代物になってしまう、かなり責任の重い職業だと言うことがよく分かる。

さて、この「絵画修復」とは一体どんな世界だろうか。

高名な画家であろうと、修復家にはなれない、専門の技術を学んだ職人以外は手を出せない世界。

修復とは加筆するのではなく古くなったり傷ついたりしてしまった、大切な美術品や芸術作品を、元の価値を損なわないように修復することを修復家と言う。

現在日本に於いては、修復家という職業は国家資格が無いのが現状である。

とは言え、修復家を希望する学生は近年増えており、学校側も嬉しい悲鳴を上げる一方だが、国家資格の有無となると頭を抱える始末。

取りあえず、大学もしくは専門学校などの教育機関で学び、そこから工房へと行くということになる。

だがそう簡単に事は進まないらしい、工房自体に空きが無く折角学んだ知識も仇となる確率が高いと言うのだ。

一方、外国はどうかといえば、欧米の世界でも技術より学術的な知識が優先される傾向が最近は強いと言われている。

そのような中で、唯一国家資格があるのがイタリアだ、修復家を目指すのであればイタリアの大学へ留学し学位取得後、数年間工房での実務が義務づけられている。

だがそれまでの道のりは厳しく、たとえ国家資格を取れたとしても工房を見つけるのはビザの問題上不可能に近く、相当難しいと言われている。

工房では就労ビザを申請してまで外国人を雇う余裕など無いというのが実情なのだ。

外国人を雇えば高い税金を納めなければならず、イタリア人を雇うよりも賃金が高くなってしまうという尾ひれが付く。

日本も欧米も修復家になる夢は難しく、これでは未来へ繋ぐ技術の継承が危ぶまれるのは必至だ。

修復家とは、時代が変わっても色あせない価値を持ち続けることが使命であり、数々の名画を知識と技術でリカバーする想像以上に責任の大きい仕事でもある。

そんな中、国内で活躍している絵画修復家がいる、山領まりさん(78)である。

山領さんを知ったのは新聞記事、文化財の保存と修復にスポットを当てた「読売あをによし賞」を3年前に受賞した方である。

工房を開いて43年、毎日の作業は顕微鏡で絵の状態を調べ、綿棒などを駆使し表面の汚れを取るのが修復家の仕事だという。

正直驚いた、山領さんには申し訳ないが40数年顕微鏡と向き合ってやっと認められたと言うのだから、この国の文化度熟成の脆弱さが見て取れる。

山領さんの場合は大学の研究室に残り、その研究室で行われていた絵の修復と出合ったことがカイロスだったわけだ。

もし、そこに職を持たなければ別の人生もあったわけである。

偶然性とは言え、能力があったからこそその職に就けたのであり、誰もがなれるわけではない。

冒頭で絵画修復家を目指す学生が増えていると書いたが、山領さんに続くには強い精神力と我慢の心構えが必要不可欠だ。

因みに、修復家とまでは行かないが、いざというとき役立つものをひとつ提供しよう。

雑誌や書籍を迂闊にも水に濡らしてしまった経験、1回や2回こんな失敗はないだろうか。

ドライヤー、あるいは天日干し等が一般的な乾燥の方法だが、そんな時役立つものがある、濡れてしまった書籍などを冷凍庫で凍らせるとリバイズするのだそうだ。

濡れたものをジップロック等の袋に入れ、チャックを閉じずそのまま冷凍庫へ入れる(目安は一週間ほど、そして自然乾燥)。

凍った袋から余計な水分が抜け、完全とは行かないけれども原型に近いものに戻るという、もしそのような状況に遭遇した場合には、是非この方法をお薦めしたい。

チャックは閉めない、これをくれぐれも忘れないように。

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