ノスタルジック Y街にあったT

駅の階段を下り、右手に見える階段を上がると書店が見える。こじんまりした書店と言う印象からは想像もつかないくらい、書棚には読書好きの書物が所狭しに並んでいる。
後ろから声を掛けられた
「お元気ですか」
この主とは長い付き合いだ、開店してから何年経っているのだろう……引っ越した事を言いそびれてしまった。まだこの地に住んでいると思っている、正直ずっとうそを通していきたい、と思っている、引っ越したからと言って主の態度が一変するわけでもないのに。転居したことを言ってしまうと「縁」が切れてしまう、そんな気持ちが何処かにあるのだ。
主は書物のことならなんでも快く引き受けてくれた、書店には規模の大きさと言うことから、日販・東販など相手にしてくれない、でも彼らは読者の痒いところをきちんとフォローしてくれる有り難い書店なのだ。
かつて数冊上梓したときも、狭い中で平積みしてくれた。
近くには大手の書店があるが一度も買ったことはない、ベストセラーと雑誌そして漫画がメインの書店には興味がない。
名前の通り、幸せを呼ぶのかこの小さな書店には、人のぬくもりがほどよい加減で肌を包んでくれる。その通りにはもうひとつ好きな店がある、書店から1分も掛からないところにある喫茶店、オーナーのH君はきっと唯一無二という気持ちを込めて店の名前を考えたのかも知れない。
彼の控えめな態度、悪く言えば少しおどおどしている感もあり、昔は青山近くでヒッピーの様な生活、路上でビーズなど手作り製品を売っていたらしい。
打ち合わせがあると必ず、この喫茶店でしていた、一番奥の大きなテーブルが定席だ。今時のカタカナ文字の喫茶店にはない、時間の流れがゆったりとしていて心が静まる。格好付けて言うわけではないが「いつものを」と言えば濃厚なミルクティーがテーブルに届く。

この喫茶店のH君と話すきっかけは、行きつけのバーだった。
書店より東側へくねくねした路地を上がっていくと、白い煉瓦の壁にドアには4枚ほどガラスが埋め込んであり、仄かな明かりが見える。H君は友人を引き連れやってきた、それもかなり遅い時刻だ。針は翌日を差していたかも知れない。長いカウンターテーブルから一瞥だけし、彼らが帰る段になり初めて言葉を交わした。
このTにはCRANKの客が多い、いわゆる奇人だ。
胡散臭いテレビプロダクションスタッフ、コピーライター、編集者、学者崩れ、そして与太者と、そんな連中が三々五々このTにやってくる。
もしかすると、当方が行かないときは「まとも」なお勤め人が忘憂しているのかも知れない。このバーの自慢は「混まない」ことが有名だった、外から窓越しに覗くとS君はシンク傍に置いてある小型テレビに目をやり、いつ来るか分からない客を待っている。ダジャレを飛ばすも外す事多し、でもめげずに客をいじり回す。
気が付けばどっちが客か分からないくらい、生ビールのコックを何度も下げ舌も回らないほど泥酔していた時、もあった。きっと呑まなきゃいられない日々も、そんなことも知らずに馬鹿なことばかり喋っていた。

突然、「店閉じます」、とS君に言われたとき返答に窮し言葉に詰まってしまった。
いつ店を閉めるか、悩んでいたと告白してくれた。それを知っていたら足繁く通ったのに、と。冗談じゃない、いつも来たって二千円程度の酒しか呑まないのにでかいこと言うな、って怒られるかもしれない。
そして、Tは消えてしまった。

そして月日が大分過ぎた頃、知り合いからもらったという携帯でメールが届く、T時代と同じように含羞からか馬鹿馬鹿しい内容ばかり、それは何を隠そうS君のスタイルだった。
時折、生きている証のメールが届く、内容は分からない、意味不明だ。
その意味不明の中でこちらも返す、それも意味不明である。
そんなことを何回か続けていて、突然途絶えた。
“Tは私の精神病棟でした、狂った頭は何処で治療すれば良いのでしょうか”、とメールを打つ。電話もした、でも応答はない。

いろんなことが過ぎる、S君を心配するほどの余裕など何もない自分、あの笑えない様なブラックはたまたレッドジョークが忽然と消えてしまった。
そうか……そんなことやっていられないよな、きっと。

夏の終わり頃宅急便が届く、送り主はS君からだった。缶ビールの空き箱を裏返しにしてT時代に掛かっていた曲がメディアで送ってきたのだ、それも箱一杯にである。開けると空き箱の紙をメモ用紙にして「謹呈」と書いてあった、S君らしい送り方である。言葉にならないほど、嬉しかった、いまこうして書いているときも感情が揺さぶられる。

Y街は陋屋から僅か3キロ程度、とても近いのに遠い街になってしまった。

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