実験工房たちのアプレゲール

今年の1月、神奈川県近代美術館を皮切りに”実験工房展”がスタートした。

いわき市立美術館〜富山近代美術館〜北九州市立美術館と巡回し、11月23日から世田谷美術館で最後の実験工房展が行われる。

国内の公立美術館で実験工房の全貌を総合的に紹介する展覧会はこれまで一度もなく、画期的な展覧会である。

チラシのサブタイトルには”実験工房展 戦後芸術を切り拓く”と謳っている、アーティストたちのコラボレーションは今では当たり前に思えるが、戦後の復興期に 美術、音楽、照明、文学などのジャンルを超えた前衛芸術家が集まること自体、当時は斬新なシチュエーションであったと思う。

復興時と言えど、日本に於いての前衛芸術活動は司直の目も厳しく、情況が不安定で危機や危険をはらんでいた時代なのでないかと思えてくる。

象徴的な1例として、前衛芸術家の赤瀬川原平の”千円札裁判(1963年3月)”があった。

「オブジェとしての紙幣」に興味をいだき、千円札を事細かく観察し、自筆で丹念に、原寸の200倍の大きさに拡大模写した作品を読売アンデパンダン展に発表した。

しかし検察側は、赤瀬川を思想的変質者として捉え、通貨及証券模造取締法違反の嫌疑が掛かり容疑者となった。

千円札の模型として作品を製造したことを赤瀬川は強く主張し控訴したが、検察側の主張が認められ有罪となり懲役3月、執行猶予1年の判決を受けた。

裁判所でのいきさつを事細かくは書けないが、なんとも陳腐でお粗末な裁判であったことか。

素人目にも、原寸の200倍の大きさに拡大模写した作品が何故に通貨及証券模造取締法違反となるのかが理解できない。

これをどこかの街で紙幣として使うことも出来ないし、それこそ変質者として市民から嘲笑を買うだろう。

作品として正規のルートで美術展覧会に出品することに意味があるのであって、芸術が四角四面の枠にはめられたら、芸術というものはこの世から消えてしまうだろう。

芸術は何にも縛られることなく自由に表現することが、アーティストたる存在理由であり、それが彼らの最大の武器なのだ。

今回、何処かの美術団体で不祥事があったが、これこそ実力とは無縁の権威主義はびこる団体の話で、前衛芸術家たちから見ればお笑い種でしかない。

 

実験工房のメンバーは

、秋山邦晴(音楽評論家・詩人)、今井直次(舞台照明家)、大辻清司(写真家)、北代省三(美術家・写真家)、駒井哲郎(銅版画家)、佐藤慶次郎(作曲家)、鈴木博義(作曲家)、園田高弘(ピアニスト)、武満徹(作曲家)、福島和夫(作曲家、音楽学者)、福島秀子(画家)、山口勝弘(造形作家)、山崎英夫(エンジニア)、湯浅譲二(作曲家)の14人が集まって結成された、命名は詩人・美術批評家の瀧口修造。

このメンバーの殆どは黄泉へと旅たち、健在なのは福島和夫、今井直次、湯浅譲二の3人だけとなってしまった。

1951年11月、日比谷公会堂で催された「ピカソ祭」、ここでグループとしてメンバーたちが初めて試みたのが創作バレエ「生きる悦び」だった。

1月に鎌倉の美術館で見たときは、「前夜」「実験工房の時代」「1960年代へ」の3章構成。絵画、立体、映像、写真のほか、楽譜や公演プログラムなどの関連資料まで約450点という膨大な作品が展示されていた。

最初に目を惹いたのは各会場に吊されている北代省三のモービルだった、水琴窟のような音が流れる中、様々な形を成したモービルがゆっくりと小宇宙を漂う様に思えた。

懐かしく感じたのは、50年前に創られた松本俊夫監督の”銀輪”が会場で上映されていたことだ。

これは自転車のPRとして制作された映画で、音楽は武満徹。戦後日本における実験映像のさきがけと言われた作品であったが長い間フィルムの所在が不明の「幻の映画」だった。

2005年再発見され、デジタル復元版が2009年に作成された。

この映像の中に特殊撮影の箇所がある、それは円谷英二の手によるものだという。

松本俊夫監督とは二十代後半に、葛井欣士郎氏からの紹介して頂いた。高校生の時観た”薔薇の葬列”が衝撃的で、いつかこの監督の下で映画に携われることができたらと長い間その希望を持ち続けていた。

当時まだタブー視されていたゲイボーイを主役に据え、エディプス神話の舞台を60年代の新宿に置き換えて描いた異色作として映画史に名を刻んだ物語、ピーターの映画デビュー作品であった。

その頃はフランス映画やイタリア映画に耽り、殆ど日本映画に興味を持たなかった、しかしATG映画が登場してからと言うもの、前衛映画の迸りに思い切り揺さぶられた気がしたのである。

しかし皮肉にも監督と出会った頃にはATG映画も翳りが出てきて、松本監督自身映画よりもビデオアートやメディアアートの道へ方向舵を切り替えていったために、ついぞ監督の下で映画に携わることはできなかった。

但し、映画は無理だったが、ビデオ作品に少しだけ参加出来たことはこの上ない歓びだった。

あれから大分月日が流れた、監督とのつながりは年賀葉書で互いの状況を知らせる程度になってしまったが、未だ映像と美術の世界を常に横断しながら、製作、評論、教育という多領域に亘る活動を不断に続けている。

 

実験工房のメンバー14名の中に松本俊夫監督は参加してないと思われるが、様々な場面でアーティストたち時にクロスし、互いに刺激し合うのだろう。

常に実験の精神が貫かれていた実験工房、この功績は戦後芸術の先駆として今日、改めて評価すべきものだと痛感する。

世田谷美術館で11月23日から始まる”実験工房展”過去に戻るのではなく、未来に通じるものがこの実験工房展から見えてくる気がする。

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