佐野繁次郎、といふディレッタントな画家

銀座に用事があるといえば、仕事で出かけることぐらいだろうか。

銀座イコール”銀ブラ”、今や死語となってしまった言葉が頭に浮かぶ。

年配者の方たちは、街をブラブラし老舗デパートで買い物をし、その流れで食事をすると言うのが昔は定番だったようだ。

その銀ブラ、銀座の街をブラブラすることだと思っていたら、そういう意味ではないと父から指摘された。

銀ブラとは当時の作家たちが足繁く通った”パウリスタ”という喫茶店でブラジルコーヒーを飲むことを指すのだそうだ、つまりブラブラすることではないのであった。

今ならさしずめスタブラとでも言うのか、でもスタなんとやらは何処にでもあるから貴重価値は薄い。

多分、銀座は当時の流行の先端を行っていた”街”であり、銀座へ行くことがステータスの時代であったのだろう、しかしその趣もすっかり変わってしまい、東京の”中心”は少しずつ西へと移動している感がある。

 

その銀座で、時折見かけた”銀座百点”がある、作家や著名人たちが執筆陣となって銀座を盛り上げている小冊子だ。

昭和30年に創刊されたと言うから、今年で58年を迎える。

このPR誌は銀座百店会の会員によって運営され、会員店舗の入口付近に置かれている無料の小冊子。

中身は違うが、フリーペーパーの走りと言って良いだろう、目を凝らして見ればその冊子がどこにあるか見つけることは容易い、そういう点で言えば銀座資生堂の”花椿”もその部類に入るわけだ。

銀座百点の特徴は表紙にある、その時代時代の人気ある画家たちが表紙を飾る。


このPR誌、実家に初期のものが数冊書棚に置いてある、子どもの頃は気にも留めなかったが、その表紙がとても斬新でおしゃれであったことだけははっきり覚えている。

思い出したようにそれを見たくて久しぶりに実家へ寄った、その表紙の作者は”佐野繁次郎(さのしげじろう)”聞いたことあるだろうか、私はたまらなく好きだ。

名前だけ読むと、猛々しく段平を構えているような5文字に思えてくる。

しかしおよそ名前とは及びも付かないほどにコンテンポラリーで、階調のない黒い線で描かれた画風は、濃度の高い鉛筆で力一杯に描かれパウル・クレーや誇張したエゴン・シーレのようなタッチを彷彿とさせる。

さらに際だつのが赤だ、全てとは言えないが画のパートに赤が加えられ肉迫してくる、それは鮮烈で、見ているものを脅かすほどの印象を与えてくる。

爾来、どんどん佐野の何とも言えない魔界のコラージュに取り憑かれていく自分があった。

佐野 は(1900年1月22日〜1987年12月2日)は、日本の洋画家。 大阪市船場の筆墨商の家に生まれる。

小出楢重に師事し、信濃橋洋画研究所に学び二科展に出品。

昭和初期より横光利一の「寝園」の挿画や著作の装幀、挿画をはじめとして多数手掛ける。

1937年に渡仏しアンリ・マティスに師事、ホアン・ミロとも交流する。戦後は二紀会の創設に参加。

パピリオ化粧品の重役としても活躍。パッケージデザインも手掛けた(ウィキペディア参照)。

佐野は佐伯祐三と出会ったことが、画家になるきっかけだったと言われている。

あらゆる画布に絵を描き、様々なものに作品を遺していった。

マッチ箱ひとつにしてもデザインは粋だ、月に1度は原宿まで通った大阪鮨”八竹(現在は四谷と築地のみ)”、銀座の鮨”すきやばし次郎”、赤坂にあった 向田邦子の店”ままや”、銀座みゆき通りの”レンガ屋”etc挙げきれないほどたくさんある。

この書体はどこか佐伯を匂わせる、独特の風合いが滲み出ている、崩しているようで崩してない手書き文字はまさに絵画化の域、やはり佐伯の影響を受けているのだろうか。

禁煙ラッシュでマッチの存在など消えゆく存在だが、佐野が描くマッチ箱は誰よりも異彩を放っていた。

 

佐野の名を一躍知らしめたのは装幀だろう、第一線の作家たちの作品を総なめするほどの勢いで佐野ワールドを作り上げていった。

手がけた書籍は数多あり、それを蒐集する美術関係者も少なくない。2008年には佐野の装丁本ばかりを纏めた「佐野繁次郎装幀集成」(みずのわ出版)が発行されている。

列記してみると、武田泰淳、横光利一、谷崎潤一郎、水上勉、大江健三郎、三島由紀夫、河上徹太郎、大田黒元雄、梶山季之、堀口大学、辻静雄等々、そうそうたる面々の装丁を生みだしてきた。

装幀の色彩は、佐野繁次郎独自の世界観を作り上げ、今なお彼の絵は掠れること無く脈々と生き続けている。

 

佐野の油彩画の作品は少なかったが、決して描けなかったのではなく時間があまりにも足りなかったに違いないと推測する。

日本人離れした感覚、いまだかつて彼のようなアートは観たことがない、ポップで色彩から音を感じるアーティスト。

佐野は絵画の中に文字を取り入れた画家だった、そして佐伯もそうであった。

佐伯がモノトーンの画家であるとしたなら、佐野は彩色の画家と言えるかも知れない。

佐野は縦文字ではなく、横文字の似合う画家だった。

 

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