アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 58

曇天の眼下に広がる幻想的な紫禁城の水墨画

~ 中国 北京 紫禁城 10 景山公園 ~

中国には4000年にわたる悠久の歴史が刻み込まれている。

度々の抗争によって王朝が移り変わりはしたものの、歴代の皇帝によって歴史のページが綴り続けられた。

中国最後の王朝、清朝の第12代皇帝、宣統帝が、1912年2月12日に退位したことによって、王朝の歴史が終焉した。

この王朝支配の末期を支えたのが紫禁城だ。

 

 

その期間は王朝支配の末期と一言で表現するにはあまりに長く、紫禁城が宮殿としての役割を果たした歳月は約490年にも及ぶ。

江戸幕府による天下泰平の世は約265年だから、江戸城の2倍近くの間、国政を担い続けたことになる。

清朝の滅亡から100年を経過した現在でも紫禁城は中国の首都、北京の中心市街地に皇帝が暮らした当時の姿で残されている。

天守閣を失った江戸城には、江戸時代の面影はほとんど残されていないが、紫禁城は明代、清代の歴史の痕跡をリアルに現代に生きる人々に物語り続けているのだ。

 

南北961メートル、東西753メートルに及ぶ広大な敷地には、王朝の絶対的権力が強烈なパワーが充満している。

北京市を貫く中軸線の線上に、国家行政を担う中枢機関が一直線状に並び、その左右には夥しい数の付属施設が点在する。

北京に訪れたならば、大半の人は紫禁城に足を運ぶだろう。

紫禁城を見学する順路は、南門の午門から入城し、北門の神武門から退城するのが一般的だ。

北に向かって歩を進めてもなかなか出口には行きつかない。

次から次に異なる役目を担った建造物が登場する。

世界最大の領土をもつ帝国を支配する皇帝の宮殿でしか目にすることのない景観が延々と続く。

どの建築物も中国伝統の様式によるもので統一感を失うことはない。

ところが、紫禁城の中では見ることができない風景がその全景だ。

宮殿内の施設を隈なく目に留めたとしても全景を捉えなければ、片手落ちの感が拭い去れない。

 

 

宮殿のバランスは全景を一つの視界に収めることによって、より一層印象深いものとなろう。

その絶好のスポットが、紫禁城の北側に広がる景山公園だ。


 

明代から清代の期間には皇帝のための庭園であった。

明代に紫禁城が創建された際に先代の元朝の宮殿、延春閣の跡地が公園として整備された。

園内には紫禁城を取り囲む筒子河を掘った際の土を運んで5つの峰が築き上げられた。

中国伝統の思想、風水の背山面水が宮殿の北面に実現されたわけだ。

園内には様々な種類の草木が植栽されている。

中でも目を引くのが2万株、300品種にも及ぶボタンだ。

嚢陽大紅をはじめ、雲錦霞裳大葉白八重櫻などが、例年4月下旬から5月下旬のシーズンには、鮮やかな色彩で園内を埋め尽くす。

豊かな彩りは、明代最後の皇帝、崇禎帝が自らの命を絶つために帯をかけた崇禎自縊処をはじめ、歴代の皇帝像を収めた寿皇殿、清代の皇帝妃の遺体が一時的に安置された永思殿、観徳殿などを静かに暖かく包み込む。

公園の空間に起伏を作る5つの峰には各々、観妙亭、周賞亭、万春亭、輯芳亭、富攬亭と呼ばれる東屋が建てられている。

高さ約45メートルの景山の頂上に建つ三層の万春亭からは、眼下に紫禁城の全景が広がる。

晴天の日には数えきれない宮殿施設が、くっきりとした輪郭をもって広がる。

曇天だと宮殿の輪郭がぼやけてしまうが、靄の中にうっすらと浮かび上がる宮殿の姿は幻想的だ。

とらえどころのない輪郭は、悠久の4000年の歴史を象徴しているかのように見える。

水墨画は中国の美術史の中で生まれた技法だ。

靄の浮かぶ光景は、水墨画で描かれた紫禁城と言っても差支えない。

 

 

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