映像を積み重ねる中で意味を持たせ何を語るか、
これが一般的な映像技法、モンタージュだ。
とりわけ、モンタージュの手法に新たな道を見出したのがアラン・レネ監督だった。
狂気の進行を表現した”ヴァン・ゴッホ”、ゴッホの人間像をあぶり出した出色のドキュメンタリー作品。
ゴッホの絵を切り取り短いショットの息せき切ったような繋ぎが、あたかも強迫観念に襲われた画家の内面を見た気がした。
モンタージュの手法は様々で、ストーリーが必ずしも起承転結へとは限らない、断片と断片を貼り付け、脈絡から逸脱した映像がインサートされ観ているものを錯乱の境地へ陥れる場合もある。
映像の文法は監督自身のものであり、連続性と必然性が入り乱れる中、画面はいくつもの動脈硬化を繰り返し発症しそして施術される。
モンタージュというメスの手法は、監督の意のままに執刀され傷んだ部位は取り除かれ、そこから新たな”命”が芽生え再生されていく。
そのモンタージュの試みの中で衝撃を受けた映画が”去年マリエンバードで”だった。
数日前、「去年マリエンバートで」を借り、再会を果たす。
日本公開は1964年の5月、フランスでの上映から3年後である。
むろん当時は理解できない年齢であったし、仮に観たとしても難解でその場からすぐさま立ち去ったと思う。
時は、東京オリンピックムード一色の日本の中でこのような映画が上映されたことは極めて意義深い。
初めて見たのは30数年前になるだろうか、はっきりとした日時も、また劇場もどこであったか全て失念してしまった、ただ特別上映会というキーワードだけが頭の片隅に残っていた。
場所や日付は別にして、それを凌駕してしまうほど前衛的であり影に潜む狂騒と惑乱が我が身にのしかかってくるのだった。
まさに脈絡のない事実など存在せず、存在するのは複雑な構造だけ、それがこの映画の面白さであり、意識の制御を超えた働きを見せたのだった。
この映画の解説は不可能だ、ひとつひとつ絡まった糸を紐解くように解いてみたところで別の罠にはまってしまう、まさしくエントロピーの増大である。
2人の男女が相互に主張し、食い違った過去がモンタージュされることによって、本当であることと嘘であることを超えた、思惑の次元がくっきりと浮かび上がり、それによって、過去や現在に対する解釈そのものが変化していくことの動揺と悦楽が描き出されていた。
どんどん見入ってしまい、その魅了もいつしか隷属の身となって打ち消されてしまうのではないか、そんな錯覚すら覚えてしまう映画だ。
冒頭で紹介したアラン・レネの力だけでは、この映画は成功までたどり着けなかったと思う。
この映画の最大の貢献者は、ヌーボー・ロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエ脚本の為せる技と言っても過言ではない。
アラン・ロブ=グリエ(小説家・映画監督)が亡くなって5年が経つ、彼が紡ぎ出す言葉一つひとつが迷路のようであり、ある種の頑迷さが彼の魅力となって観客側を誘導したのかも知れない、それは実験性を備えた難曲”月に憑かれたピエロ”などを作曲したアルノルト・シェーンベルクとどこか共通したものが垣間見えて来る。
「世界は意味もなければ不条理でもない。
ただたんに、そこに(ある)だけである。
なにはともあれ、これこそ、世界がもっているもっともいちじるしい特徴である。
そして不意に、この明白な事実が、もはやわれわれの手ではどうすることもできない力で、われわれを打つ」アラン・ロブ=グリエの言葉を色に例えるなら、無色透明というところだろうか。
しかし、何かが存在しているのだ、不可視なものが。事物を捉えようにも捉えることの出来ない滑稽さと不思議さがこの世をぐるりと徘徊しているのかもしれない。
アラン・ロブ=グリエは亡くなる前年に自ら脚本・監督を手掛けた映画「グラディーヴァ マラケシュの裸婦(2006)」を10年振りに公開したばかりだっただけに、この訃報は信じ難く衝撃も一入だった。
アラン・ロブ=グリエは1912年にブレストに生まれた。
ジョイス、プルースト、ジッド等、20世紀の新しい小説手法を大胆にとりいれ、小説の確信を気とし、ロブ=グリエ独自の “視線の文学” を想像した。
代表作に「消しゴム」(1954)、「覗く人」(55)、「嫉妬」(57)、「迷路のなかで」(59)、「快楽の館」(65)などがある。
2008年、フランス北西部カーンの病院にて死去。85歳没。