鷗外に届いた、百年前の年賀状

師走ともなると、年賀欠礼状の葉書が舞い込んでくる、いわゆる年賀状の挨拶を遠慮する旨の喪中の葉書である。

年を重ねていくと喪中の知らせがやたら多いことに気付く、若い頃には何も感じなかった年賀欠礼状だが、それが友人からの知らせだったりすると愕然とし、何処か身につまされる思いがする。

少し辛気くさい話になってしまったが、喪中の知らせは別として、昨今は年賀状が届くのを年々楽しみに思うようになってきたから不思議なものだ。

パソコンで印刷された無味乾燥なものも中にはあるが、巧拙問わず版画で彫られた年賀状を見ると嬉しくなる、だから自分でも彫る。

版木で彫ったもの、銅版画を使ったものと相手の迷惑考えず年賀状を送ってきた、送ることが楽しみなのではなく図柄を考えたり、彫っているときが楽しいのだ。

図柄は必ずしも干支とは限らない、思いついたものを彫っていく、彫刻刀でサクッサクッと版木を削る音に悦びを感じるのだ。

 

さて、年賀状の慣習はいつ頃から始まったのだろう。

 

新春の風物詩である年賀状が一般的にやり取りされるようになったのは、郵便制度が整いはじめた明治12年頃からだと言う、134年も前のことだ。

 

現在、文京区立森鷗外記念館で”鴎外への賀状”のコレクションが催されている。

鷗外が誕生して150年目の2012年、2008年より改築のため休館となっていた記念館がリニューアルされたのを知り、出かけて行った。

関心は年賀状にあった、当時の作家たちから届いた賀状に心惹かれたからである。

鷗外の作品と言っても、”雁”そして”高瀬舟”の2冊しか読んでない、それも遙か昔の高校時代のこと。

雁は全く記憶にない、高瀬舟は多感な時期に読んだこともあり、現代に通ずるテーマでもあったことから記憶も鮮明である。

 

鷗外への賀状は15葉あまり、この当時の年賀状は貴重だ。

来年の干支に因んだものをメインに集めたもので、軍人や学者、そして小説家に詩人、歌人、俳人、画家など多彩な面々たちとの交流があったことを覗わせる。

目を惹いた賀状は、劇作家の小山内薫のドイツ語で書かれたイラスト入りのおしゃれな賀状、この花が何であるかはっきりしないが、四つ葉のクローバーあたりだろうか。

また平野萬里と言う歌人が彫ったと思しき賀状が素敵だ、馬をモチーフにした版画はシュルレアリズムの画風を思わせる。

その他に、徳富蘇峰、齋藤茂吉、北原白秋、佐佐木信綱、正岡子規、谷崎潤一郎と言ったそうそうたる作家たちからの賀状、内容はバラエティに富んで紙質や書体そしてデザインなどかなり凝っていて、現代でも通用する雰囲気を醸し出していた。

 

 

コミュニケーションツールがタブレット端末機器やPCなどが主流となった今、手紙や年賀状などもデジタルポストを使って送れるようになり便利さが加速している。

これも時代の趨勢、利便性に勝るものはないが手書きも捨てたものではないと思う。

各々のクセのある書体が味となって、相手に届く、スマホやPCからではその人自身の”姿”は見えにくい、時に鉛筆やペンで書くのも良いものだ。

 

 

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