紙をメインに、造形物を作るファインアーティストの安座上真紀子さんから個展の招待状が届いた。
個展は12月11日〜24日まで、恵比寿の”工房 親”で催される。
”Paper Sculpture”その名の通り、1枚の紙から立体を作り上げていく紙のアート。
彼女とはスタイリスト宅のパーティが縁で知り合った、かれこれ13年くらいになるだろうか。
彼女のトレードマークは眼鏡だ(勝手に思っているだけだが)、会う度に眼鏡のフレームの色が違うである、その殆どは原色に近く彼女の存在を際だたせている。
眼鏡の本数を訊ねたことはないがさぞかし彼女のことだ、数え切れないほど持っているのだろうと思う。
個展を催される毎に、作品が印刷された葉書で送られてくる、その出品作は本物と見まがうほど精緻で、紙で作られたとは思えないくらいの出来映えである。
暮れ近くになるとカレンダーが届く、その年に作った作品が載っているのだ。
知り合ってから13年、その年月分だけ頂いていることになる、ということは156点もの作品を彼女は創ってきたのだ。
カレンダーに載らないものを含めれば相当な数になるだろう、頂いた当初は一度きりのものだと思っていたが、それが毎年送られてくる。
図々しくも暮れが待ち遠しいのである、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
彼女が製作する造形物は、日本独特のものやその他日常の中にある、ありふれた雑貨をモチーフに視点を変えポップで大きなアート作品に仕上げて行く。
彼女が紙と出会ったのは、某会社在籍中、同僚のためにゴジラを作ったことがきっかけだった。
日常のオブジェや果物などを紙で表現する自らの作品を「Paper Toy/ペーパートーイ」と名付け、雑誌や広告などのフィールドで八面六臂の活躍だ。
1992年、1993年には米国 「Illustration award」を2年連続で受賞。
この数年、銀座三越美術画廊・伊勢現代美術館、ヘルシンキ、マイアミ等で個展を意欲的に開いている。
紙とスチレンボードを使い、あえて人間を作らず、物や道具だけを作ることで、より身近に人間の生活感、欲望などを表現したい、と安座上さんは語る。
紙と言うベーシックな素材を使うことで、あたたかさや物の質量から解放された軽やかさ、テクスチャーの多様性などを楽しむのだそうだ。
また、作品を現実離れした大きさで作ることによって、そのものの本来の使い方から別の感覚を呼び覚まし、リアルに作ろうなどとは全く思わないと言う。あくまで再(reproduction)ではなく、表現(expression)なのだそうだ。
だが、出来上がった作品は本物以上に仕上がっている、それはある種の客観性が必要であり、結果としてリアルにものへと繋がっているのだろうか。
安座上さんはこれまで様々な色、厚さ、テクスチャーの異なる紙を使い分けながら、日常をとりまくものを題材にしたオブジェを作ってきた。
紙を軽く持って、しなりやすい方向としなりにくい方向のちがいで紙の目を見分ける。
目の方向をどう活かすかで、できたものの、たわみかた、強度のちがいといったものが生じるため、目の方向を計算に入れることが大切なのだという。
彼女の指先は非常にセンシティブで、アートであってアルチザンのような手仕事の領域を兼ね備えた二重性のなかに作品は創り上げられていく。
驚くことに彼女は図面を引かない、頭の中でイメージしたものを具現化し、立体化していくのだそうだ。
大学では住居学科を学んだが図面引きは苦手だと聞いたことがあった、もしかすると指そのものがコンパスになったり、三角定規となって自在に指が動いてくれるのであろう。
以前取り上げた”佐野繁次郎”も、ざわめきたつほど赤の色が印象的だったが、彼女の作品にもその赤がひときわ存在感を表しているような気がする。
今回出展の”ピン”はまさしく赤一点に集中する。
13年間という歳月の中で、”安座上真紀子”を表現するならば、さしずめRed in Redだろうか、直接本人に話したことはないが、こうして過去の作品を眺めてもそれを強く感じる。
安座上さん、最近は現代美術の方向へ傾きつつあるようだ。
”観客から「すごく可愛いですね」と言われることが多かった。
可愛いと思われることに、「何か違う」という思いが自分の中にずっとあった。地方の美術館で5メートルくらいの赤ん坊の作品を見たとき、強い衝撃を受けた。
それ以来「サイズ」がいかに表現や価値観を左右するか、そればかり考えるようになった”と彼女は話す。
安座上さんの指先からどんなものが飛び出してくるか、目が離せない