よく「俺は普通の人間にはなりたくない」と、いう方がいます。
自分もその1人だったからこそ、結果的に様々な経験を仕事でしています。
しかし、普通の人にになりたく無い、ということは漠然と誰を否定している訳で、何となく特別感が欲しい訳です。
近頃は、とても大切なことを忘れていたので、ここに書かせてもらいます。
まず、普通の人というのは何なのでしょうか?
特別な仕事をしたり、有名になったり、自由に暮らしている人達は、違う人間なのでしょうか。
もし、サラリーマンと呼ばれる人達がこの世界にいなくなったとしたら。
多くの〝俺は違う〟、という人間も同時に始末されるでしょう。
何も特別では無くなりますからね。
そして、よく蟻の例で言われていることですが、蟻の群れなどでは、確実に2割は列を抜けて勝手なことをし出すのだそうです。
まぁ、それって、細かい事を言えば蟻の勝手ですし、どうでも良いのですが…。
人間社会に置き換えると、確かに…ということが起こります。
職場の人数が多くなれば、必ず1人は別の考えを持つ者が現れます。
そういったことを考えていると、何となく2割の方が格好よいような気がしてきませんか?個人的には、その2割にはロマンを感じますし、人とは違う角度でものを見ようとするチャレンジ精神も、非常に面白いと思います。
ただ、ここで残り8割を批判だけするとなると、話は別になってくるのではないでしょうか。
そもそも、白い点というのは、絵画の世界であれば周りが黒だからこそ、白が際立ってくるものです。
もし、白が特異な色であり、自らが白であっても周りが黒くなければ自分は全く異才を放ちません。
そのため、黒がいることは大きなポイントなのです。
黒に助けられているからこそ、白である自分が白でいられるということなのです。
また、何となく才能の無さを痛感してしまう時というのは、誰でにでもあるはずです。
これは、何と無く、自分を特別だと思っていた人がそういった業界に入った途端、周囲のすごさに圧倒されて落ち込むってことが良くあり、白から黒側、また黒にもなることが、できなかったと、いうそれですね。
結局、慢心しては絶対に良いものは作ることができない。
こういう事なのです。
自分だけが特別であると思わずに、必ず誰かに助けられて、今の自分がいることへの感謝を忘れないことが大切なのです。