我々人間が生活する上で、非常に大切な存在となっているのがペットです。
ペットの中でも取り分け多いのが犬や猫といった、愛玩動物です。
まぁ、中には結構イカツイペットを好んで飼っている方もおり、その趣味は人それぞれだな…と、話を聞く度に感じています。
さて、そんなペットの中でも比較的多いとされている犬なのですが、この犬、何故名前を呼ぶとくるのか、ちょっと不思議になってしまったことはありませんか?“ハチ、こっちに来なさい!”とういと、何か大きな発見でもしたかのように、急いでこちらに向かってきてくれます。
そういった態度を見る度に、飼い主は犬に対してとても温かい気持ちになり、より愛情が深まってくるということです。
しかし、どうやらこの犬ってのは、名前を理解している訳ではないということが分かっており、音節や目的語のキーワードなどの組み合わせなどで理解をしているようです。
そもそも、犬の世界には名前という概念は無いようで、名前というもの自体が不要である、という世界で生きているのだそうです。
まぁ、科学的な話をしてしまうと、ここでは書ききれませんし、アートとは別の分野になってしまうのでスルーします。
しかし、現実を無視するのであれば、犬が名前を覚えていないというのは、あまりにも夢が無い話にだとは思わないでしょうか?
犬というモチーフで、アート作品を発表したアーティストはかなり多いでしょうが、それは人間と犬の間にある、一方的な人間の犬に対する愛情が生み出した作品となっている、ということになりますよね。
犬の方は、名前も知らなければアートなんて確実に理解していません。
というか、犬がアートに関心を持つとしたら、美味しい香りであったり、その他の刺激的な誘惑物質を用いた時となるはずです。
名前を理解していない、という事実は何となく分かっていても、愛犬家にとってみれば認めたくない、一部分であります。
そう考えると、犬と人間の関係というのは、物凄く絶妙な距離感にあるような気がします。
あまり深く考えたことは無いのですが、とにかく犬は大してこちらの発する言葉の意味を理解してはおらず、犬には犬の回路で理解しているってことです。
可愛い、愛している、お前がいるから家庭が明るくなった、など、これらの気持ちも一切言葉通りの意味が通じていないとすると…。
何か、面白くなってきます。
この軋轢というか、絶妙な感覚をモチーフにアートを作ることができれば、それはそれで面白いかもしれません。
当たり前のようになっている関係性を、今一度見直すと、アートを発見できるキッカケが転がっているものなのです。