16世紀かラドいつの人々と歴史を、見守り続けるビア・ホール
~ ドイツ ミュンヘン ホフブロイハウス ~
日本には、先祖代々同じ物を製造したり、販売したりする老舗が数多く存在する。
創業何年の看板は、宣伝効果抜群だ。
長年にわたって培った技術や信用は何物にも代えがたい高い評価を生む。
特に、日本酒、和菓子などの製造業や呉服店などには、伝統の屋号がひしめいている。
これに対し飲食店の老舗となると、伝統の味を守り続ける日本料理の店に限られてしまうため、他の業態に比べると少ないと言えるかもしれない。
ドイツのミュンヘンにあるホフブロイハウスは創業、何と1589年という世界でもまれにみる老舗だ。
国立のビール醸造会社ホフブロイハウスが直営するビア・ホールだ。
バイエルン公のヴィルヘルム5世によってブルワリーが開設され、1828年にルートヴィヒ1世がこのブルワリーが一般開放し、市民の居酒屋へと変貌を遂げた。
ホフブロイハウスは、バイエルン州の州都ミュンヘンの中心部、グロッケンシュピールで広く知られる市庁舎が建つマリエン広場から徒歩数分のところに位置する。
建物の1階はビア・ホール、2階はレストラン、3階はショーが開催されるフロアとなっており、1階にはビアガーデンの中庭が併設されている。
店舗の規模は極めて大きく3000人もの人員を収容することができる。
1920年の2月24日には、国家社会主義ドイツ労働者党ナチスの党大会がここで開催されている。
党の25か条綱領が採択され、ドイツの歴史を決定づける現場となったのだ。
ビア・ホールで国政上の重要な決定がなされるのは、ドイツならではのことと言えるだろう。
その後、ドイツは第二次世界大戦への路をひた走ることになったのだ。
会議場としてでも体育館としてでも使えそうな1階のホールには、木製の長椅子と長いテーブルが並べられている。
ファミリーやグループ単位での飲食は難しく相席となる。
偶然に隣り合った人々の全てが仲間となる。
空間全体に広がる解放感は、見知らぬ人とのフレンドリーな交友を産み出す。
ホールの中は、バイエルンの民族衣装を着たウエイターやウエイトレスが右に左にと大忙しだ。
しかも、大きなビア・ジョッキを胸の前で束ねるようにして足早に駆け抜ける。
ジョッキを満たす小麦色の液体は、ホフブロイ・デュンケル、ホフブロイ・オリジナルラガー、ミュンヘナー・ヴァイスビールなどのミュンヘン・ビールだ。
ジョッキに並々と注がれたビールの容積は1リットル。
標準サイズが1リットルなのだ。
ホール内の人は、自分の顔を隠してしまいそうなジョッキで豪快にビールを飲み干す。
最も小さいサイズの500ミリリットル・ジョッキで飲むといった子どもじみた真似は控えざるをえない。
ホールの端では民族バンドの演奏が雰囲気を盛り上げる。
『乾杯の歌』が演奏されたならば、大きなジョッキを頭の上にかざしながらの大合唱だ。
ホフブロイハウスはビア・ホールなのだが、ミュンヘンを代表する観光スポットともなっている。
一年中数多くの人々で賑わうが最も混雑するのは、例年ミュンヘンで9月半ばから10月上旬の約3週間、開催されるオクトーバー・フェストの期間だ。
この時期は席を確保するのは至難の業となる。
2007年、オクトーバー・フェストの第2日目の9月23日は、午後3時台だというのに店内に空席は見当たらない。
広いホールは熱気むんむんだ。
普段着の人もいれば、バイエルンの高山帽子を被った人もいる。
ホールはお祭り気分ではちきれそうだ。
運よく席を確保できれば、偶然できたドイツの友人と一緒に『乾杯の歌』を歌うこととなる。