アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 65

全ての国民に愛され続ける王家の守護寺院

~ タイ バンコク ワット・プラケオ 1 ~

現在、日本の社会で使われている元号は、1989年1月7日にスタートした平成だ。

日本史においては、125番目の元号ということになる。

初代の天皇は、神話の世界『日本書紀』に登場する神武天皇だ。

神武天皇の即位時期については明確な記録がないが、明治時代に紀元前660年と定められた。

これをそのまま信じるということには無理があるが、天皇家は何度となく危機に見舞われながらも、血統を絶やさなかったことに違いはない。

戦後の日本国憲法の発布によって、天皇は国民の象徴となった。

 

タイも日本の政治構造とよく似た立憲君主制をとっている。

首相が国の政治のリーダーだが、国王が存在し国民から熱い信頼を得ている。

国民による大きなデモが起こった場合には、政治には無関係のはずの国王が調停役を務めることすらある。

現在のタイ国王、プーミポン・アドゥンラヤデートは1946年に即位以来、国民に愛され続けている。

チャクリー王朝の第9代の国王であり、ラーマ9世と呼ばれることの方が多い。

チャクリー王朝は、ラーマ1世が1782年にトンブリー王朝のタークシン王を退け、バンコクに首都を置いて誕生させた王国だ。

タイでは1238年にスコータイ王朝が開かれて以来、王国の歴史が継承されているのだ。

代々、国王が政権を担ったが1932年に世界の流れに沿う形でラーマ7世が、絶対君主制から立憲君主制への移行を宣言し現在の政治体制が確立した。

チャクリー王朝の成立と同時に、ラーマ1世は壮大な王宮を造営した。

前王朝のトンブリー朝の都とは、チャオプラヤー川を挟んで東の対岸に位置する。

 

ワット・プラケオと総称される約20万平方メートルの広大な敷地内には、宮殿の他に網の目のように数々の、寺院や仏塔が建造された。

現在の国王はチットラダー宮殿に住んでいるが、ラーマ1世から5世まではワット・プラケオに暮らし政務を執り行った。

清潔な印象を与える白亜の壁を通り抜けてワット・プラケオに入ると、先ず目につくのが回廊に描かれた壁画だ。

古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の世界が展開する。

インドではヒンドゥー教の経典とされる説話は国境を越えタイに入国すると、『ラーマキエンヌ』とタイトルを変え仏教の教えを説いている。

物語に登場する人物の中でもランカ島に囚われたシータ姫を救い出したハヌーマンに対する篤い信仰心からか、勇敢に戦うサルの姿が壁画のいたるところに描かれている。

壁画が取り囲む敷地内には、夥しい数の仏塔が林立している。

 

写真(遺跡65-2)

写真(遺跡65-3)

 

仏塔のデザインには工夫が凝らされ視覚的な変化を与えつつ、その組合せが全体的には均整のとれた構図を産み出している。

様々な表情をもつ仏塔ではあるが、どの仏塔も太陽の光を受けて、まばゆいばかりに光り輝く。

ワット・プラケオの中心施設である本堂は、仏塔が取り囲む中に厳かな姿を見せる。

正面からでも厚みが感じられる重厚な壁からは、極彩色の輝きが放たれる。本堂に近づくにつれて、気高さが全身を包み込むかのようだ。

 

写真(遺跡65-4)

 

本堂の中には、ラタナーコーシンと呼ばれるエメラルド仏陀が安置されている。

1年に3度の季節の変わり目には厳粛な儀式が開かれ、国王がエメダルド仏陀の衣替えを行う。

幅約48センチ、高さ約66センチの仏像はあまりに小さく、遠くからではなかなか拝むことはできない。

参詣に訪れた人々は列を作り、ゆっくりと静かに仏像に歩み寄っていく。

チャクリー王朝の成立と同時に王家を守るために建造されたワット・プラケオは、今では全てのタイ国民の守護寺院となっているのだ。

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