アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 66

ヨーロッパのルネサス様式に、タイの伝統様式がバランスよく融合した宮殿

~ タイ バンコク ワット・プラケオ 2 ~

現在のタイの王朝であるチャクリー王朝の成立と同時に、王家と国民を守り続けてきたワット・プラケオの本堂の南西には、数棟の宮殿が建築されている。

歴代の王が即位する度に新しい宮殿が建造され、ワット・プラケオと呼ばれるエリアは、今では約20万平方メートルにまで広がった。

 

その中心に建つのが、チャクリー・マハー・プラサート宮殿だ。

ラーマ5世に就任したチュラーロンコーン王が、ヨーロッパ視察を行った後に、イギリス人の建築家に宮殿の設計を依頼した。

建物はチャクリー王朝100年周年にあたる1882年に完成し、ラーマ5世からラーマ8世まで、王はこの宮殿を住まいとして政務を行った。

 

宮殿の建築様式は、タイの伝統的な様式にヨーロッパの様式を融合させた折衷様式となっている。

 

外壁や窓、階段の構造など全体的にはルネサンス様式が採用されているのだが、視線を上に向けるとタイの伝統的な様式による尖塔や装飾が施さている。

屋根の線に沿ってナーガのうろこや、ガルーダの羽根があしらわれ、尖塔はガルーダの尻尾を表現している。

中央の最も高い尖塔には3本の剣がアレンジされたチャクリー朝の紋章が描かれている。

異なる様式を用いながらも、絶妙のバランス感覚をもっている。

 

写真(遺跡66-2)

 

ヨーロッパの様式の建築物の上にタイの様式による屋根を配置していることには、ラーマ5世の隠された意図があったと伝わる。

ラーマ5世が王位にあった時代は、西側からはイギリス、東方からはフランスがタイの国土に迫っていた。

そのような環境の中で、ラーマ5世はタイの独立を維持し続けたのだ。

 

ラーマ5世は、チャクリー改革と呼ばれる改革を推進した。

官僚制の導入、議会制度の導入、学校教育制度の設立、鉄道の敷設などの施策によって近代国家への舵取りを行った。

タイの三大王の一人と賞讃され、今でも国民から深く愛されている。

海外での評価も高く、1999年の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に、タイ人として唯一選出されている。

 

現在王位にあるラーマ9世の住まいはチットラダー宮殿だが、王室が国賓を迎えたときの拝謁や式典は、現在もこの宮殿で開かれている。

宮殿の内部にはチャクリー朝の歴代の王の骨壷が安置され、建築物同様大切に保存されている。

一般公開されているのは1階部分のみで、武器や鉄砲などを展示している。

チャクリー・マハー・プラサート宮殿の西に隣接して、ドゥシット・マハー・プラサート宮殿が建つ。

宮殿の中では最も古く、木造による建造物だ。

以前はアマリン・タラーピセック・マハー・プラサートと呼ばれていたが、1789年に火災に見舞われ改築され、名称が変更された。

この建物は本堂と同じように、上空から見ると十文字の形をしている。

屋根は七重の屋根を重ねて、その頂点に尖塔が延びるモンドップ型と呼ばれるデザインとなっている。

他国では見られないユニークな構造だ。

 

写真(遺跡66-3)

 

幾層にも重なり合う屋根は、神々が宿る聖なる山を模ったものと言われている。

白亜の壁の上に、黄金色や緑や赤で彩られた屋根が色彩的に独特なアクセントをつけている。

タイの仏教界では古くからモンドップ型の建造物の中に経典を納めていた。

ワット・プラケオにおいても、かつてはこの宮殿の中に経典が保管されていた。現在では、玉座や寝台などが大切に保管され、王族の葬儀の式典はここで執り行われる。

タイの王国の歴史を支えてきたワット・プラケオは役割を少しずつ変えながらも、タイには欠かせない存在として活用されているのだ。

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