大島渚、憤怒の行進

差別・性・暴力の三位一体を映像化した作家、これが大島渚監督に対する思いである。

 

好悪は別にして当方の映画に関する感性の一部に(少なからぬ部分)は、大島渚に育てられたことは確かだろう。

亡くなってちょうど1年が経つ、早いものだ。

先日、深夜にNNNドキュメント’14で’63年8月16日放送”忘れられた皇軍”を観た、およそ50年前の映像、監督31歳の時の作品である、皮肉にも翌年は東京オリンピックが開かれた年であった。

 

高度成長期時代、市民は都市の発展に浮かれ戦争という忌まわしい記憶さえも忘れたかのように、目まぐるしく動いていた。

オープニングは主人公が電車内で寄付を募る顔のアップで始まる、よく聞き取れない、しかしサングラスの向こうに痛苦が滲んでいるように思えた。

主人公はトラック島で海軍軍属として基地労働に従事中、艦砲射撃により全身負傷、右腕切断、両眼失明、まさに生き地獄である。

電車内での撮影許可を取ったのかどうか分からないが、あの混雑さの中で良くも悪くもカメラを回したなと言うのが強く印象に残る。

乗客たちは見て見ぬ振りする者、じっと後ろ姿を覗く者、それを承知で大島監督は回したのだろう。

ある種、言葉は悪いが”さらし者”であった、それでも大島監督は市民と視聴者へ映像の”アジテーション”をぶつけていった。

カメラの後ろにいるであろう監督、ここでも怒鳴り声を発していたのだろうか、主人公が大島監督の目となって見ている側に憤怒の雄叫びを上げているようだった。

これを企画したのは日本テレビ報道部の女性ディレクター、彼女は言う”衝撃だった、テレビから放たれる強烈な怒り、今この時代にもう一度放送してみたい。

強くそう思った”と彼女のナレーションが被る。

 

太平洋戦争中、日本兵として疵を負った韓国人の元兵士たちが国会の前を歩いている傷痍軍人、非常に象徴的だ。

足を引きずり転ぶ者、松葉杖、片手、片足、義手の手、その姿は白装束に身に纏いゆっくりと歩いている。

彼ら元兵士たちはなんの保証も受けられずに街頭で訴えていた。

この白装束は子どもの頃鮮明に覚えている、覚えていると言うより正直怖かったというのが正しいかも知れない。

渋谷・新宿・新橋・銀座、他にもいたと思うが駅のガード下辺りでハーモニカやアコーディオンを弾きながら何かしらの援助を求めていた。

しかしその戦きの中で私は”戦争”の惨劇を直に教わった気がする、言葉で伝えることも大切だが、傷痍軍人の姿は決して勇姿などというものではなく、戦争がいかに愚行で希望というものを全て剥ぎ取るおぞましく醜いものだと痛感せずにはいられなかった。

番組は撮影当時の内容を検証しながら進行していく、そこには番組に携わったフィルムカメラマン、音響、編集者、小山明子たちが証言者として登場し、また田原総一郎、是枝裕和監督などが作品のコメンテーターとして登場している。

 

この”忘れられた皇軍”の撮影中、大島監督は涙が出るほど感動したと手記の中で書いている。

街頭でデモを行った後、元兵士たちが居酒屋に集まりその日の憂さを晴らすかのように酒を飲み交わす、そこで喧嘩が始まるのだった。

戦争で両目を失い、右腕もない、前歯も欠けている主人公がサングラスを外し涙が溢れる。

大島監督は”カメラは加害者だ”と作品を通して気付いたと書いている。

加害者であるカメラを突きつけること、それが許されたのは監督が元兵士たちと同じ怒りを共有していたからではないかと元フィルムカメラマンは語る。

大島監督、終戦時は中学1年、幼い少年の心に突き刺さったのは怒りと無念の連続であったに違いない。

大島監督が最もこだわったのがクローズアップだった、兵士たちの失われた手足、目、口、作品は全編を通して暴力的なまでのクローズアップに満ちていた。

彼らは働くに職もなく外国人として日本の社会補償制度を充分に受けられず、街頭募金を唯一の糧とし社会の片隅に生き延びてきた。

軍人恩給の支給は韓国籍故に除外され、元兵士たちの怒りと哀しみは頂点に達した。

その一方で日本人兵士たちが傷痍軍人となった場合には、名誉とされ、恩給法により増加恩給,傷病年金または傷病賜金を受給でき,傷痍軍人記章を着けることを許され社会的に優遇を受けていた。

だが韓国人の元兵士たちは日本政府に対し保証の有無を言及すると、韓国人だから韓国の政府に陳情せよと言った。

すぐさまその足で韓国代表部(大使館の前身)へ向かい戦傷者としての窮状を願い出たが”韓国に責任はない、日本政府に請求せよ”とけんもほろろであった。

国家とは人が存在して初めて成立するもの、だが両国の応えは砂を蹴散らすかのような対応、国家とは一体なんなのか……。

彼らが千鳥ヶ淵公園と思える場所で、芝に腰を下ろしおにぎりを頬張るシーンがあった、彼らの唯一のささやかなひとときだ。

だがその楽しみはすぐに消える、永遠に消えない疵と共に生活への補償はどうなったのだろう。

殆どの方たちは現世にはいないだろう、長らえれば良いというものではない、だがタイトルのように”忘れられた皇軍”であってはならない、我が国に於いてはいくつものその”忘れられた”事象が山のように堆く積み上げられている。

大島監督の憤怒の靴音はこれからも鳴り止まない。

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