国立新美術館- アイルトン・セナの降臨

古舘伊知郎がF1グランプリを実況していた頃、アイルトン・セナを称して”音速の貴公子”と異名を付けたことがあったが、けだし名言である。

1992年モナコグランプリに於いて、セナとナイジェル・マンセルがトンネル出口でテール・ツゥー・ノーズの死闘を繰り広げたレースはいまだに忘れることの出来ないシーンだ。

まさに雌雄を決するとはこういうことを言うのだろう、ラスト7周の中猛追するマンセル、どこにもオーバーテークする場所などない、ヒール・アンド・トゥの連続、当時はシフトチェンジがマニュアル、だから面白かった。

シフトレバーと足下が矢継ぎ早に動き手に汗握る熾烈な戦い、セナはマンセルを振り切りチェッカーフラッグを受けた。

闘争本能むき出しのマンセルも、さすがにコックピットから出るや足下はふらつき立つのがやっとで、その攻防がいかに激しかったことか。

今時のレースはパドルを手前に引くセミオートマが主流で、すべてFIA(国際自動車連盟)の胸三寸で新たなレギュレーションが導入され変化していく。

2014年のルールもまた改正されレーサーたちも困惑気味だ、FIAとは言っても親玉はフランス人、彼らの流儀でF1は動くのである。

コンストラクターの資本が潤沢かどうかで、殆どレースが決まると言っても過言ではない。

 

レーサーの実力もさることながら、いまやF1は国家上げてのパワーゲームと化している。

 

モナコグランプリのセナとマンセルの死闘は、後々までかたりぐさとなっているが、セナはこの世にいない、1994年のサンマリノGPでコンクリート壁に激突しマシンは大破し帰らぬ人となってしまった。

あれから20年の時が経つ、彼の功績は歴史に刻まれサンパウロ市にあるモルンビー墓地に眠っている、墓碑銘は”神の愛は永久に我が身に降り注ぐ”、きっとセナの魂には神の王国が出来ているであろう。

旧約聖書コヘレトの言葉3章に”何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある”と言う1節がある、安らかなる眠りをと祈るほかない。

そのセナのエグゾーストノートが日本に降り注いだ、国立新美術館の文化庁メディア芸術祭で聴けたのである。

 

メディア芸術祭は2月5日を皮切りに16日迄開催されていた、アート・エンターテインメント・マンガ・アニメーションの4部門のカテゴリーに分かれ受賞作品がテニスコート2面ほどの会場に展示されていた。

空は亡霊のように雲が垂れ下がり今にも六花(りっか)が舞い降りてきそうな気配。

会場は平日だというのに熱気に溢れ、様々な層が固唾を呑んで受賞作品に視線を傾けていた。

作品は、世界84か国・地域からの4.347作品の応募から選ばれた受賞作品が会場に集まった。

 

会場で目に止まったのがセナの” Sound of Honda/Ayrton Senna1989”の映像と”時折織成-落下する記憶”と言うタイトルのインスタレーションだ。

 

Sound of Honda/Ayrton Senna1989、はまさしく音と映像の饗宴であった。

 

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暗いブースに重低音のエグゾーストノートが走る、全長5,807mの鈴鹿サーキットの路面にフリックするLEDの青い光り、その音速は時に身震いし、そして忘れかけていたあの時の思いがよみがえってきた、イモラ・サーキットのタンブレロコーナーの上空にヘリがホバーリングしていたことを……ブースで流れているサウンドはサンマリノGPから遡ること5年前、日本GP予選でセナが樹立した世界最速ラップの走行データである。

Telemetry Data(遠隔計測データ処理)には車速、エンジン回転数、スロットル開度の変化が、シミュレーションと並んで記載されている。つまり、Telemetry Dataには鈴鹿で交わされたセナとマシンの対話のすべてが刻まれている、データであり、24年前に走った記憶の装置がブース内のフロアーに地響きするほど鳴り響いていた。

 

この作品は第17回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門の大賞に選ばれた。

 

そしてもうひとつ、和田永氏のインスタレーションだ。

”時折織成-落下する記憶”は、高い台の上に、懐かしいオープンリール式レコーダーが4台置かれている。

テープレコーダーから再生された音(音楽ではない)、スロー再生されたシュルシュルと言った音のようにも聴こえた。

アクリル容器の中へ落下する様相は滝を思わせ、テープが柔らかな形状となって埋まっていく、そのフォルムは女体の様にくねくねと折り重なりながら畳まれていく、不思議な余韻が残った。

そして落下したテープは一気に吸い上げられるように上へと巻き戻されていく、その早送りの音は”美しき青きドナウ”、3度目でそれがなんの音であるかようやく理解できた。

時折織成-落下する記憶とは、人の営みの中に時として忽然と記憶が寸断されることがある、それも無意識裡に。そしてふっと我に帰る、デジタル社会の中で蠢く様々な事象、置き忘れた記憶がアナログという装置によって私はセイメイを取り戻したような清々しい気分になった。

和田氏はオープンリールレコーダーを駆使して音楽表現をするユニット(Open Reel Ensemble)の中心的存在らしい、これからも彼の活動を注視していきたい。

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