今、社会を支えるためには、男性だけでなく間違いなく女性の力が必要です。
一昔前は、会社などで女性上司という立場の人がいることは珍しく、同じ仕事の出来であれば男性が出世するという風潮が自然にありました。
しかし、今の時代そんな考え方は古くさく、様々な場所で活躍する女性が目に入ります。
さて、そんな訳で様々な雑誌などに“強い女性”という見出しの特集が多々組まれるようになり、その内容も男性に負けることなく、社会的にもプライベートにも輝く女性を取り上げているという感じで執筆されています。
しかし、ここで疑問なのですが、女性というのはそんなに弱いものだったのでしょうか…。
ただただ、男性が社会的に外で働くという風潮になっていただけであり、たまたま男性=強いというイメージが強かっただけなような気がします。
そして、家庭に入っているからといって弱い訳ではなく、精神的にも肉体的にも女性は強く、決して弱いという立場で生きてきている生き物では無い気がするのです。
先日、とある有名ファッション雑誌で、コムデギャルソンの川久保さんがインタビューされていましたが、彼女自体、こういった“強い女性達”という特集はあまり好きでは無いとのことです。
バッサリ言ってしまうところが、川久保さんらしいのですが、本当に強いというか、活躍している方は男性の事や、強いとか弱いとか考えて無いのではないでしょうか?
そもそも、コムデギャルソンも男性が多いファッションデザイナーという職業の中で成功をおさめながら、彼女自信は男性と戦った…と、いう感覚はないと答えています。
そういったジャンルでは無く、自分として受け入れられるために戦った訳ですから、男尊女卑を考えながらの成功ではなかったのです。
とはいえ、フェミニズムを訴えかける方は多いですし、まだまだ男性の中には女性への偏見の目というのがある人もいます。
しかし、時代はもうそんな時代では無いですし、現に新しい会社などでは、女性も男性も関係ない立場で働き活躍しているのです。
女性が進出しやすくなった、ということは無く、女性は女性だし男性は男性。
生まれや年齢が違う、というぐらいのレベルでの違いとして、互いに認識しあうことが必要なのです。
身体的な事や出産など、様々な問題が立ちふさがりますが、それはそれで上手に付き合うしかありません。
これを差別と言ってしまったら、女性として生まれたことを呪うしかありません。
むしろ、素晴らしいことだし、社会全体で自然にサポートをしていける体制が整って行ければ何も差別的なことは一切起こらないのです。
アートの世界など、性別を超えたところで評価されますが、通常の社会もそういった流れを汲んで行くことが、とても重要だな…と、改めて感じさせられました。